龍雲寺 (りゅううんじ)



 世田谷区野沢界隈はちょっと不思議なテイストの香る町。柿の木坂・東が丘といったセレブタウンに隣接している為、庭付き一戸建ての小洒落た邸宅が立ち並ぶ中流階級の静かな住宅街を形成していますが、その一方で野沢一丁目界隈は細かな路地に軒を連ねて安アパートが林立しており、さらに下馬三丁目との境にある三栄会商店街ではとてつもなく安いカツ丼を食わせる食堂や、味のある外観を漂わせている八百屋が並ぶ、やや寂しげな下町アトモスフィアを醸し出しています。これは一丁目が三軒茶屋に近いことによる庶民指向のベクトルが働くことの現れでしょう。
 その柿の木坂に隣接しているのでとても閑静な野沢三丁目に、古刹龍雲寺があります。墓地は少し離れた二丁目の旭小学校の隣にあります。

 

 ここに往年の二枚目俳優、天知茂の墓所があります。本名臼井登。天知茂と言えばマダムキラー、クレバスのように刻まれた眉間の皺に、猛禽類を思わせる鋭い眼光で、奥様方のハートをがっしりと鷲掴みして離しませんでした。テレビ「非情のライセンス」で見せた一匹狼の刑事は、苦みばしったアダルトな魅力で異彩を放ち、正統的なハードボイルドドラマとして高く評価されました。

 若い頃の天知茂は、後年の人気が出た頃と違ってガリガリに痩せていて、頬のこけた顔立ちは今見るとジュード・ロウに似てもいます。元々は倒産した映画会社新東宝で悪役として活躍、大抵は女だまして体と金を頂く、といういわゆる色悪でならした俳優でした。特に「東海道四谷怪談」の伊右衛門役は妻を愛しているのに毒を盛って殺すという屈折した役どころを鮮やかに演じ、未だに怪談映画の最高峰と言われるこの作品に大きく貢献しました。新東宝倒産後は大映に移籍して主に時代劇に出演し、特に「座頭市物語」の平手酒造、「眠狂四郎無頼剣」の愛染役でも、どこまでも醒めきった途方もない虚無感を、水際立った冴えた演技で見せました。その後大映も倒産した為、額には苦渋に満ちた皺が益々増えていきました。
 土曜ワイド劇場の明智小五郎シリーズでも人気を集め、(ちなみに三島由紀夫脚色の舞台「黒蜥蜴」は作者直々の依頼とか)舞台にも活躍していましたが、1985年(昭和60年)7月27日クモ膜下出血により急逝しました。享年54歳。
 ドラマの中ではバーのカウンターにいつも一人でジッと虚空を見つめ、ウィスキーを静かに傾けるそんなシーンを何度も目にしましたが、実は当人は全くの下戸だそうで、撮影が終わるとスタッフとよくコーヒーを飲みに出かけたそうです。そのせいか命日に墓所を訪れると、有田焼のコーヒーカップにコーヒーが注がれてお供えされてました。
 この墓所のある野沢2丁目はわりと緑の多いところで、南東に100mほど離れたところに鶴が久保公園、その斜向かいに野沢稲荷神社があり、ほんのすぐ近くに環状7号線が走っているとは思えない静かな環境が残されています。

 

 龍雲寺は中々御立派な山門・本堂を擁し、境内も広くて緑が多く、特に桜や紫陽花の花々が美しい事でも知られています。

 



 「龍雲寺」
  〒154-0003 東京都世田谷区野沢3-38-1
  電話番号   03―3421-0238