頼久寺 (らいきゅうじ) 名勝



 小堀遠州が手掛けた謂れを持つ庭園が全国到る所にありますが、殆どが何の由縁も無い如何わしいもので、後世の誰かが遠州風に造ったというのが実情のようです。別に専門の作庭家というわけでもなかったし、なにしろ元々は戦国大名で江戸期には伏見奉行という要職に就いていたわけでもあるので、そんなに暇でもなかったでしょうしね。
 そんな決して多くは無い遠州が関わっていると見られる庭園の一つに、岡山県高梁市の頼久寺があります。この高梁は父小堀新介正次が領主だった備中松山城がある城下町で、父没後に遠州が家督を受け継いで若かりし頃に滞在しており、この頼久寺は松山城改修の際の仮の館としていたお寺。その間に庭園を造ったのではないかと推察されているようです。
 ちなみに松山城は現存天守としては最も標高の高い位置にある山城ですし、戦国期のお城ということか町自体が砦の役目もあったようで、この頼久寺のある寺町界隈は城下の山裾に石垣を築いて防御を固めた要塞の様な造り。もうお城の一部なのでしょうね。えっちらおっちら石段を登ると本堂と庫裏が現れ、庫裏の玄関で案内を乞います。

 

 臨済宗の永源寺派に属するそうで、この寺の山裾の森に抱かれた環境は近江の山深い木地師の里にある本山と似通っているのかもしれません。創建は明らかではないようですが、南北朝の頃に足利尊氏が全国に建立した安国寺の一つとして再興され、室町後期に城主松山頼久が修復したことから頼久寺と改称しています。
 臨済宗の寺院に多く見られように本堂が方丈形式で、隣の庫裏の裏側に書院が続き、それぞれが凹型に繋がって配置される平面構成ですが、江戸後期の天保年間に延焼しているので遠州が関わったとされている頃の姿とは違います。庭園は方丈と書院の裏側に広がります。

 

 構成としては書院の東側に鶴島亀島を置き、その北側に白砂による大海を表した蓬莱式枯山水庭園で、背後に愛宕山を望む借景式にもなっています。この手前に白砂を敷き詰め奥に鶴亀の石組を置き、背後に生垣を巡らせ山を借景とする姿は、遠州の代表作として知られる京都南禅寺金地院と同じもので、その白砂の上に切り石を並べた飛び石も同じ趣向です。また方丈前の自然石と切り石を並べた軒露地は、これも代表作である京都大徳寺孤篷庵忘筌と同様のもの。後年に見られる遠州独特の様々な手法が既に展開しており、若かりし頃のマエストロの実験場の様相です。

 

  

 その傾向は他にも色々と見られ、例えば書院前になだらかな山形の石がポツンと置かれています。これは遠州の故郷にある近江富士と呼ばれる三上山を現わしており、やはり大徳寺孤篷庵にも置かれています。
 また方丈と書院との間に遠州好みとして知られる寄せ灯籠があり、これも大徳寺孤篷庵と同様の趣向です。

 

 鶴亀の石組の内、亀島の方は後年の補作らしく遠州の頃のものではないとのこと。天保期の火災で損傷してしまったようです。鶴島の屹立する立石が印象的な力強い石組は南禅寺金地院のものと似ており、特に中心部の首を現わす地中に深く突き刺した立石は、御近所出身の重森三玲に影響を与えたのではないかとのこと。

 

 そしてこの庭のハイライトは、サツキによる大刈込。白砂の大海の上に浮かび上がる青海波を表現したもので、背後の椿による直線的な刈込と対照的な、ボリュームのある三次元的曲面を見せてダイナミックに波濤を見せています。初夏の花の頃はその美しさもひとしお。

 



 「頼久寺」
  〒716-0016 岡山県高梁市頼久寺町18
  電話番号 0866-22-3516
  拝観時間 AM9:00〜PM5:00 年中無休