大徳寺黄梅院 (だいとくじおうばいいん)



 洛北紫野の大徳寺は、茶室の多い寺院として知られており、本坊と22数える塔頭のうち茶室が無いのは本坊・大仙院・龍泉庵・龍源院と4箇所だけしかありません。しかもいずれも名席と誉れ高く、国宝や重要文化財に指定された物件も数多く点在する、茶室回廊とでも呼ぶような寺院。千利休の墓所があり菩提寺でもある聚光院や、小堀遠州の隠居所で世に名高い「忘筌」のある孤篷庵、それに国宝茶室「密庵」の龍光院と、茶道に係わる人にとっては聖地のような場所です。これらの名席は通常非公開なのですが、ごくまれに公開されることがあり、数多くの茶道や建築に携わる人々が訪れて、普段はひっそりとした院内がしばし賑わいを見せていたりします。北大路側からの入口である南門近くにやはり非公開の塔頭の黄梅院があるのですが、毎秋10日間ほど定期的に公開されており、普段は見ることの出来ない風景を心行くまでしばし鑑賞することができます。表門を潜ると中は一面杉苔の前庭で、この奥へと続く茶室へのプロムナードとなり、外露地の役割も兼ねているようです。奥へと誘うように延段が連なります。

 

 

 黄梅院は、室町末期に織田信長が建立させた黄梅庵を前身とした寺院で、桃山期の1588年(天正16年)に毛利元就の息子だった小早川隆景が寄進して新たに黄梅院として発足、その当時に建造された本堂・庫裏・書院が今に残ります。一番奥に位置する書院は「自休軒」と呼ばれる建物で、その中に千利休の師匠である武野紹鴎好みの由来を持つ「昨夢軒」という名の茶室が残されています。

 

 自休軒は木造平屋建ての簡素な書院で、外観は大きさが桁行11.1m奥行11.1mで屋根は入母家造りの桟瓦葺き。内部は南北2列に4部屋ずつ並ぶ8間取りの平面となり周囲を外縁がとり回ります。昨夢軒は北側中央に位置する四畳半下座床の茶室で、西と南は襖4枚で隣室と、北は腰高障子2枚で縁側へ、そして東は北寄りに襖2枚で隣室と繋がる構成となり各方向に行き来が出来ますが、この中で北の障子は貴人口となり、そして東の襖は茶道口となります。出入り口を北側におくのは紹鴎の手法。後年の茶室に比べて天井が高く、さらに襖の内法も高く、そして大きく面取りを施した長押を嵌めてある箇所などに、茶室の初期としてのまだ固い書院風の名残が見受けられます。
 弟子の利休が創出した草庵風の茶室が登場するまでは、このように書院の一部が茶室の役割を担っていたようで、茶室の源流とも呼ばれる慈照寺(銀閣寺)同仁斎も、書院の中に茶立所を加味したような構成の建物となっています。但し、この昨夢軒は部材は比較的新しいものが使われていて、床に古田織部の頃から見られる墨蹟窓が開いていたり、襖の引き手の形状など、時代考証からすると武野紹鴎の頃とは思われない箇所が幾つか見られることから、紹鴎より後年のおそらく江戸期に建造されたか、もしくは改造があったのではないかと見られています。ちなみにこの自休軒は江戸初期の1652年(承応元年)に建造されていて、紹鴎の死後100年程のもの(寺内の東南にあった昨夢軒を移築して取り込んだという説がある)。
 書院の東南隅の部屋に水屋があり、棚や簀子など無いひどくシンプルな構成で、これは利休以前の形式と伝えられる確かなものです。

  

 昨夢軒の東隣の部屋、つまり茶道口の先にある座敷ですが五畳台目の控えの間で、普通は茶道口で水屋と繋がるところ、水屋との間にワンクッションおいて一呼吸入れてから茶室に入る待機所として置かれたそうです。またこの部屋は向切の炉があるので茶室としても使え、丸窓もあり縁側の戸を開けると庭も眺められる、茶事以外でも使いでのありそうな座敷です。他の部屋も端正で落着いた意匠の部屋が並び、襖には雲谷等顔の息子である等益の手による水墨画が描かれています。

 

 

 この自休軒の南側には「直中庭」と呼ばれる池泉鑑賞式の庭園が広がります。千利休が66歳の時に作庭したもので、緑濃い苔庭に中央に不動三尊を模った巨石を置き、左に加藤清正伝承の朝鮮灯籠を配した構成。何よりも瑞々しい苔の美しさが特筆ものです。

 

 

 自休軒の東側に本堂が連なります。禅宗寺院に多く見られる6間取りの方丈形式で、桃山期の1586年(天正14年)に建造された比較的規模の大きな客殿です。この本堂内の襖絵44面に、毛利家のお抱え絵師だった雲谷等顔による水墨画が描かれており、「竹林七賢図」「山水図」「西湖図」「芦雁図」等の作品が残されています。雪舟の模写で名を馳せたように雪舟調の雄大な構図と、独特の軽妙なタッチが融合したユニークな画風で、その後の雲谷派の開祖となった桃山期の代表的な絵師です。本堂ともども襖絵も国の重要文化財に指定されています。この本堂の正面には白砂と石組みによる極シンプルな「破頭庭」と名付けられた枯山水の前庭があり、この庭も本堂同様に天正年間に造営されたもの。
 この黄梅院は庭園の多い寺で、本堂の裏手には、同じ大徳寺大仙院の庭園にそっくりな「作仏庭」、そして自休軒の北側にも苔に石塔を配した庭が広がります。
 本堂の東南隅に唐門があり、本堂と同時に建造されたものでこれも国の重要文化財指定。表門側から延段を進むと、唐門に開けられた花頭窓から本堂前の破頭庭が覗けるようになっており、本堂へと誘う効果的な手法です。

 

 

 

 本堂の東側には庫裏が連なるのですが、その間の緩衝地帯として坪庭があり、ここも巨岩を配した枯山水の庭。
 庫裏も本堂と同時期の1589年(天正17年)の建造で、この時期の本堂と庫裏がそれって現存する例は少なく、尚且つ禅宗寺院の庫裏としては最古のものとなっており、国の重要文化財に指定されています。天井が高く吹き抜けていて、巧妙に組み合わされた梁組みが見られます。

  



 「大徳寺黄梅院」
   〒603-8231 京都府京都市北区紫野大徳寺町
   電話番号 075-492-4539
   FAX番号 075-492-3210
   開館時間 非公開 毎年11月上旬に特別公開