大角家住宅 (おおすみけじゅうたく) 重要文化財



 東海道と中仙道が合流する琵琶湖畔の草津宿、その草津宿へと至る東海道の一つ手前の石部宿との丁度中間地点に、六地蔵と呼ばれる小さな集落があります。いわゆる「間の宿」だった所で、宿場町同士の中間で一息入れる為に設置されたものです。この六地蔵地区は、長閑な田園地帯の中をウネウネと程好く婉曲する古道沿いに、卯達を上げた格子造りの町屋が立ち並び、さらに神社・寺院・一里塚等が点在する中々情緒溢れる風景が残されていて、観光地化されて多少あざとくなった宿場町スポット(大内宿や馬籠宿等)と違い、地元の人々が普段どうりに生活する静かな場所です。車もあまり通らず、当然観光客も来ないので、心地よい環境が保たれており、関西地区のデイウォーキングにぴったりなのでは?そんな集落の東の外れに大角家と呼ばれる大型の町屋があり、この六地蔵地区の本陣を務めた家柄で、予約が要りますが公開されています。
 この大角家は「和中散本舗」という薬屋で、江戸初期に胃腸薬を製造販売し大成功を収めた商家でもありました。家伝によると桃山期の慶長元年(1596年)にこの地に移り住み、代々製薬を生業としていた家系で、現当主も若い頃までは本業としていたそうでした。建物は17世紀末の元禄期の頃と見られ、主屋は桁行19.4m奥行19.1mの二階建ての高塀造り、屋根は切妻造りの上方が本瓦葺き下方は桟瓦葺き、正面に銅板葺きの庇が付きます。主屋に付属して裏手に土蔵や納屋が並び、家前を走る東海道を挟んで隠居所も造られていて、主屋・正門・隠居所は国の重要文化財、敷地は国の史跡に指定されています。

 

 この主屋は東海道に面する正面10間から奥行3間までを全て店舗空間にしており、特に戸を二段の摺上げ式にして取払い、また1間おきの間柱も外せるので、非常に開放感の高い店舗空間が造られます。また出が大きく繰形彫刻による装飾性の強い肘木で支えた庇と、座るのに丁度良い高さの縁台を設置することによって、雨や直射日光を避けたい疲れた旅人の足休めに寄び込み、そこでお茶など振舞って店舗空間で営業活動を行うという、巧妙な商売もしていた模様です。

 

 中の店の部分は60畳分の広大な空間で、土間を挟ん東ミセと西ミセに分かれいます。東ミセは畳敷きで販売を行った箇所で、西ミセは板敷きで製薬を行った箇所となり、動輪・歯車・石臼からなる人力による木製の製薬機が置かれています。この製薬機も国の重要文化財に指定されているそうです。建物の構造は柱や差鴨居の木割が太く、堂々とした豪壮でプリミティブなもの。この街道と一体化したような開放感強い店舗空間が、この住宅の一番の見所です。

 

 

 大角家は本陣も兼ねていたので、店舗の隣には公家や大名向けの迎賓施設も備えてあります。立派な薬医門の奥に重厚な千鳥破風の屋根を載せた式台付きの玄関があり、その奥に上質の接客空間が連なります。
 この式台の虹梁には、表面には鶴亀の、裏面には松竹梅の凝った欄間彫刻が施されていて、見事な出来栄えに感嘆するのですが、この彫刻が入ったのは江戸中期の宝暦年間とのことなので、この時期に本陣としての体裁が整ったのではないかと見られています。

 

 

 店舗部からこの本陣部へは一段上がる構造となり、格式の違いを示しています。また店舗部から少し斜めに取り付けられているので、主屋建築後に増築されたものと見られます。この本陣部は店舗部の簡素で重厚なプリミティブな意匠と違い、床や違い棚を備えた書院造りの座敷が並び、さらに襖や戸袋に江戸期の異端の絵師とも呼ばれた蘇我蕭白の絵画や狩野派の絵師による作品が残されていて、プチ美術館の様相です。

 

 一番奥の座敷は付書院や両違い棚を備えた10畳の上段の間となり、南東から南西にかけて縁側が取り回ります。深い庇で覆われた縁側周りは、寺院の書院か客殿のような趣で民家との一部とは思えません。

 

  

 上段の間の周囲には池や築山を設えた池泉鑑賞式の庭園が広がります。サツキの刈り込みやカキツバタ・カナメモチ等の植え込みに石橋や石灯籠も配され、遠く日光山の山並も望める借景式のこの庭園は国の名勝にも指定されており、店舗部からはこのような空間があるとはとても想像がつきません。

 



 「大角家住宅」
   〒520-3017 滋賀県栗東市六地蔵402
   電話番号 077-552-0971
   開館時間 要予約 AM10:00〜PM5:00(冬季は〜4:00)
   休館日 8/13〜8/17 12/25〜1/7