大橋家住宅 (おおはしけじゅうたく) 重要文化財



 倉敷のイメージというと川沿いに蔵造りの屋敷が建ち並ぶ美観地区の印象が強いようですが、この美観地区から一本北側の本町通り沿いは間口の狭い格子造りの町屋が建ち並ぶ、職人が多く住んでいたいかにも庶民的な街並が残されています。美観地区が観光地化されてつまらない土産屋や飲食店で蹂躙されてしまったのに比べて、この本町通り沿いは今でも市民の胃袋を満たす為の食料品や日用品を扱う商店が軒を連ね、板塀やなまこ壁に、”ひやさい”と呼ばれる石畳の路地が続く、いにしえの生活感溢れる風景が残された風情充分の区域です。実はこの本町通り沿いの街並の方が美観地区よりも成立が古く、元々はこちらがメインストリートだったもので、ここに建ち並ぶ町屋も古参の商家だったもの。市中最古の民家である国重文の井上家住宅もこの一角にあり、やはり格子窓の美しい町屋造りの建物です。一方美観地区の蔵屋敷は新興勢力の商家だったもので、大原美術館で知られる大原家も江戸後期の商家でした。大原美術館の倉敷川を挟んだ対面に国重文の大原家の豪邸も残されています。この大原家住宅(非公開)と並ぶ新興勢力の商家の豪邸として、美観地区から少し離れた場所に大橋家住宅があり、大規模な長屋門を通りに構えてその豪商ぶりを見せ付けています。ちなみにこの大橋家の周囲は美観地区に含まれない為に、マンションやホテルが林立してしまい、ちょっと異様な景観。

 

 大橋家は先祖が豊臣家に仕えた家臣でしたが、豊臣家滅亡後は京都五条大橋近くに隠棲し、江戸初期の元和・寛永期頃に備中の中嶋村に移住して、江戸中期の1705年(宝永2年)に当地に転居して来た由来があり、このことから大橋姓を名乗り、屋号を中嶋屋としていたようです。当時の倉敷は幕府の天領となっていた場所で、古碌と呼ばれる古参の商家は水運の利から年貢米の集結流通により発展しましたが、新碌と呼ばれるこの大橋家や大原家は水田・塩田開発により古碌よりも大きな財を得て、その後の倉敷の町政の実権を握るようになりました。古碌が小規模な住宅なのに対して新碌の住宅が御殿のような豪邸を建てられたのはこのような理由からで、特にこの大橋家のように長屋門を構えるのは相当な格式の高さを示すものです。この長屋門を潜ると主屋との間に広い前庭がとられ、右手に大きな米蔵があります。

 

 主屋は木造2階建ての大型のもので、大きさは桁行13.4m奥行9.6mに屋根は入母家造りの本瓦葺。建造は長屋門・米蔵と同時に行われ、江戸後期の1796年(寛政8年)のこと。いずれも国の重要文化財の指定を受けています。大型だけあって平面図が複雑となり、その為屋根の構成も複雑になり、正面と背面では全く異なる外観となっています。正面には出格子や倉敷窓と呼ばれる独特の格子窓が庇上に5ヶ所開かれた、整った端正な町屋造りの顔立ち。

 

 正面の大戸口を入ると広い土間になり、さらに格子によって区切られた奥土間へと連なります。この格子と土壁とによる境界は接客空間と生活空間との分かれ目ともなり、それぞれの土間から派生する座敷部と居室部は完全に分断されています。平面図では土間を支点としてコの字型となっており、手前の接客空間は男性のみ、奥の生活空間は女性のみの空間として区切られており、この格子戸からは女性はみせ側には絶対に出なかったようです。掃除も男性だけで行われていたとか。そのみせ側の土間は年貢米を高く積み上げる為に高く広く取られ、採光も充分な明るい土間です。
 一方奥の土間は台所となり、竈や土公神が並ぶとても薄暗い空間。気抜けと採光用に高い天窓が開けられています。

 

  

 みせ側の土間に面して、それぞれ6畳づつの「みせのま」「なかのま」が並びます。「みせのま」には鑓掛と2階の厨子へ上がる階段が括り付けられてられており、「なかのま」には神棚があって、この裏手に仏間があります。土間と「みせのま」の前庭側は格子窓が並びますが、この格子窓は太格子の間に細格子を中間まで伸ばした親付切子格子が採用されており、段階的に内部を隠すブラインド効果を図っています。また内部に届く光にグラデーションが生じて、とても優しく繊細な趣が感じられます。

 

 

 この「みせのま」の奥には10畳づつの大座敷が続き、北側に細長い庭が面します。この庭は露地庭にもなっており、代官等の正客は土間へは入らずに、木戸から直接この庭へ入って座敷で迎えられたようです。元々下手の座敷しかなかったようですが、幕末には庄屋も務めていたことからその頃に上手の整った座敷が必要になったようで、凝った意匠はありませんが端正な造りの床や違い棚を施した書院造りの座敷となっています。

 

 

 この大座敷の上の間からさらに縁伝いに奥へと8畳の書斎が連なります。これも増築されたもので、主人の私室として明治中期に追加されたもの。丸窓が印象的な数寄屋風の佇まいで、炉はありませんが茶室としても使えそうです。

  

 この大橋家の一番の魅力は2ヶ所に設えてある坪庭でしょう。大型の町屋の為にどうしても換気・採光の点で必要なのと、緑を置く事によっていわゆる癒しにもなりますし。それとこの2つの坪庭は雪隠を挟んで繋がっており、この坪庭によって接客空間と生活空間とに分断させる役目も持たせています。

  

  

 奥土間から連なる生活空間は、当初は8畳の居間と2つの納戸しかありませんでしたが、やはり明治中期に増築があり、新座敷として4室の部屋が造られました。大座敷と比べると実に質素な造りで、家族の寝室として使われていたのかもしれません。この奥に内蔵が続きます。ここからさらに増築された湯殿付きの奥座敷がありましたが、文化財の指定外ということで1995年(平成7年)の改修工事で取り払われました。渡り廊下の途中でぶった切れています。

 

  



 「大橋家住宅」
   〒710-0055 岡山県倉敷市阿知3-21-31
   電話番号 086-422-0007
   開館時間 AM9:00〜PM5:00
   休館日 月曜日 12月28日〜1月3日