旧荻野家住宅 (きゅうおぎのけじゅうたく) 東京都有形文化財



 町田市にある薬師池公園は、江戸期に谷合を切り開いた溜池を中心とする自然公園で、高度経済成長期に東京の郊外が狙われて次々とニュータウンが造成されてしまい、今では貴重となった豊かな里山の原風景がそのまま残された場所です。実際にこの公園の周囲は膨大な数の新興住宅や団地群が林立しており、ちょっとしたエアポケットみたいな空間ですね。敷地は中央にある薬師池に向かって緩やかな傾斜地となり、その周りを雑木林や菖蒲田等が織り成していて、薬師堂や水車小屋も置かれたノスタルジックな風景が広がります。
 この池の近くに近在にあった茅葺の古民家が二棟ばかり移築されており、長閑な農村の佇まいを見せていますが、この内の旧荻野家住宅は全国に数ある民家建築の中でも少し異色の物件で、東京都の有形文化財の指定も受けています。

 

 荻野家は市内三輪町(TBS緑山スタジオ周辺)にあった農家で、元々は常陸国笠間藩の医師の出でした。幕末期に町田の街道沿いに転居し開業していましたが、明治期に二代目が転業し三代目より農業を専業としていた家柄で、1974年(昭和四十九年)に当地に移築されることになり今に至ります。農家転業の際に改造された可能性はありますが、建築当時の姿に復元された江戸幕末期の医師の家で、それも農村の医師という少しばかりユニークなパターンの物件です。
 その外観は一見すると茅葺屋根入母屋造りというごく普通の農家建築に見えますが、入口が妻入りになっている点とその入口横に細かな格子窓が嵌められている点が変わっており、この箇所だけ見ると町家のようにも見えます。

 

 

 大きさは桁行11.6m奥行8.2mあり、面積は建坪が四十四坪程あります。内部の間取りが相当にユニークで、通常の農家の場合は広い土間に囲炉裏の切られた板の間が広がり、奥に畳敷きの部屋が並ぶパターンが多いのですが、ここでは木戸の中へ入ると十畳程度の土間となり、板戸と障子戸に囲まれたほとんど町家の玄関。茅葺屋根ですけれど囲炉裏がないので火が炊けませんから天井板が張られ、壁にも跳ね上げ式の揚戸が嵌るなど、外観からはちょっと想像つかない内部空間。

 

 

 この土間は「前ダイドコロ」と呼ばれ、当然のように「後ダイドコロ」もあります。この土間の木戸の反対側に勝手口があり、こちらは囲炉裏や竈に流しもある一般的な台所用土間空間で、天井は簀子が張られています。通常の町家でしたら表通り側の土間と一体化する通り土間にする筈ですが、土間の役割が異なっていることから完全に分離されており、「前ダイドコロ」は医院の受付兼待合室にあたる為、日常空間とは乖離させる必要があったのでしょうね。

 

  

 「前ダイドコロ」の横にあるのが六畳間の「チョーゴザシキ」で、診察室にあたる部屋。壁には薬や医療機器等を収納する棚が据え付けられてあります。表通り側の窓には細かな格子が入り、このあたりも町家風の佇まい。この「チョーゴザシキ」の奥は九畳間の「ナカザシキ」で、「後ダイドコロ」に連なる家人の居間でした。

 

 「前ダイドコロ」には板戸で「チョーゴザシキ」、障子戸で「ナカザシキ」と出入り可能ですが、もう一つ障子戸で入れる六畳の部屋があり、こちらはそのまま奥にある十畳間の「オクザシキ」に連なっていて、診察以外の接客用として使われた座敷となります。「オクザシキ」は付書院窓に皮付き丸太の床柱が嵌った床の間のある端正な書院造りの座敷で、特に欄間には精緻な造形の菱型の格子が入っており、格式の高さを見せています。農村の医師の家ということで、外観は周囲の農村の風景に違和感なく調和させ、内部は業務向けに合理的な間取りを取り、武家の格調高い設えの部分も内包させるという、様々な部分を併せ持つ複合的な形態をコンパクトに収めた民家建築です。

 



 「町田薬師池公園」
  〒195-0063 東京都町田市野津田町3270番地
  電話番号 042-724-4399(町田市公園緑地課)
  開園時間 AM6:00〜PM6:00 年中無休