西尾家住宅 (にしおけじゅうたく) 重要文化財



 JR東海道線の吹田駅のすぐ裏手に、アサヒビールの吹田工場があります。ここは明治24年にスタートしたアサヒビールの発祥地で、東洋初のビール醸造工場でもある場所。大正期の重厚な煉瓦積みの建物も残っており、近代化遺産もチェックしながら出来立てビール試飲付きで工場見学出来ます。なんでもこのあたりは水が良い土地柄とかで、敷地のお隣に泉殿宮という神社があり、泉殿霊泉と呼ばれる名水が滾々と湧き出て一帯を潤った由来があり、平安期より荘園が多く開かれていた土地でもあります。吹田(すいた)は水田から命名されている話もあるように嘗ては長閑な田園地帯で、大阪城のある上町台地の北側にあたり淀川・神崎川の流域でもあるこの地域が、交通の利便性も含めて上層階級の統括地となったのは納得のいくところ。江戸初期には幕府や旗本の御料地でしたが、江戸中期に上皇の仙洞御所の御料地も造営されて、その際に管理人として庄屋を務めた西尾家の御屋敷が残されており、吹田市が文化施設として管理公開しています。まずは長屋門とその奥に広がる重厚な面構えの主屋がお出迎え。

 

 西尾家は元々武家の出で、江戸初期に帰農して当地に移住し、江戸中期の1706年(宝永3年)に仙洞御料となって以降4代目と7代目から10代目までが庄屋を務めた家柄です。この邸宅はその安永期より開かれたものなのですが、主屋の背部にある米蔵のみが江戸期の建造で、他の建造物は明治期以降の建造又は改造されています。敷地は相当に広く1300坪あまりで、門の奥正面に二階建ての主屋、その周りに米蔵・土蔵群が並び、主屋の西側に茶室、門の左手に離れが並ぶ構成となり、書院造り・数寄屋造り・茶室・洋風建築とバラエティに富んだ内容で全部見て回ると1時間ぐらいかかります。全て国の重要文化財指定。主屋は江戸初期の建物を1895年(明治28年)に改造したもののようなのですが、大幅なリフォームだったらしく旧来の部材があまり採用されていないようで、新築に近いものなのでしょう。建坪163坪の木造二階建てで、屋根が入母家造りの桟瓦葺。門の正面に間口2間の式台があります。

 

 この主屋は規模もさることながらかなり複雑な内部構成を持っており、まず式台のある玄関棟とその隣に計り部屋棟、玄関棟の奥が母家棟となり、母家棟も客室部と居室部とに分かれており、2階も合わせると部屋数は20部屋ほどもあります。計り部屋とは収穫された米穀を選定し収納する作業場で、広い空間を必要とする為に柱を一本も立てず、半間毎に壁に柱と梁を渡して天井を支えており、近代建築らしい均整の取れた構造体です。また床面は江戸期に多い土間ではなく煉瓦が嵌めこまれており、近辺を流れる神崎川の氾濫があることから水はけの良い煉瓦を採用したとのこと。このあたりも明治期の近代建築らしい趣向です。

 

 玄関棟は賓客向けの式台を中心に据えた接客空間で、普段は計り部屋棟から続く通り土間で奥の居室部の内玄関へ向かいます。この玄関棟はこの区域だけでも充分に接待可能な程に上質の内部空間を備えており、式台奥には8畳の広間が続き、左手に「松の屋」と呼ばれる6畳の茶室「味々庵」、広間の正面奥には「鞘の間」と呼ばれる渡り廊下兼水屋が、さらにその右手に台目三畳の茶室が並びます。何れの部屋も琵琶床や下地窓に煤竹の垂木を見せた化粧屋根裏天井等の数寄屋造りの意匠が施されており、来客時にお茶の接待が多く行なわれていたようです。ちなみにこの邸宅は茶室が多く全部で5箇所も。
 特に「松の間」は庭奥の茶室への寄付としても機能しており、茶室へと続く飛石の横手にガラス戸で内部に入ることが出来ます。暫しここで茶会前のグルーミングでもしていたのでしょう。

 

  

 鞘の間を連絡通路として母家棟に連なります。母家棟は客室部と居室部とに分かれ、1階の日当りの良い南西側の3部屋が客室部となり、その裏手の北側3部屋が家人の部屋で、さらに仏間・台所等が並ぶ構成。2階も南西側2部屋が客座敷で、1階の客室部から昇降可能でした(今は無い)。鞘の間から続く広い畳縁が矩折に客座敷を取りまわる平面構成なのですが、どうやらこの箇所は戦前の関西の代表的な建築家だった武田五一が改造したそうで、当初は畳縁は無く座敷の外部は4尺(約1.2m)の板縁が取り回り、ガラス窓も無かった模様。そのせいか下は石壇の上に乗っかった状態です。この石檀は計り部屋の床煉瓦同様に、神崎川の氾濫に対したものだとか。ガラス窓は戦前の手すきの為に歪んでいたりしますが、大きく採光されているせいかモダンで華やかな印象を内部に与えています。

 

 

 またこの畳廊には6間半(約11.7m)にも及ぶ長大な杉の磨き丸太が嵌めこまれており、数寄屋風の化粧屋根裏も見せるなど、洋風建築だけでなく和風建築にも造詣の高かった武田五一らしい意匠です。アールヌーボー調の照明器具のデザインも五一の設計。

 

 客室部は12畳の大座敷に10畳の次の間、さらに6畳間が並ぶ構成で、特に大座敷は床・違い棚・付書院が設えた格調高い書院造りの座敷。ただし床柱が皮付き丸太で棚も華奢な造りなので、茶道に熱心な家柄か数寄屋風の意匠が融合しています。またこの一画は厳選された良材が採用されており、床柱には太い杉の絞り丸太を、床框には台湾産の重い鉄刀木(タガヤサン)を、床天井には桐の一枚板が使われていて、上質の内部空間を構成しています。なんでも西尾家の親戚筋に吉野の木材業者がいたことからだとか。

 

 

 客室部の裏側は居室部が連なりますがその間に仏間があり、ちょうど母家全体の中心となる位置の、関西地方の庄屋に多い間取りのパターンです(吉村家・永富家・中筋家・奥家・杉山家・三田家等)。仏間の北側が夫人の部屋だそうで、箱階段や輿入れ時の家持が置かれています。この箱階段は2階へ上がる現在唯一の階段で、上の子供部屋への監視用でもあったようです。一角に電話室もあり、ここが吹田市内では最初に電話を設置した場所らしく吹田1番の電話番号。

 

 居室部の東側、計り部屋の北側は台所となります。計り部屋からは通り土間によりここまで侵入可。屋根は天井を張らず高く吹き抜けて、構造を支える為の小屋組を見せて採光用の天窓が内部を明るく照らします。壁には刀型閉開器による電気点灯用の初期の配電盤があります。

 

 この西尾家は代々茶道を嗜む家系のようで、この邸宅の陣容を整えた11代目輿右衛門義成氏も藪内流に入門しており、この邸内に茶室が5つもあるのはそのせい。主屋の西側に本格的な茶室を造っており、その茶室へ続く露地もキチンと設えています。式台の横手から延段や飛石を進むと梅見門が現れ、その先には桂離宮の卍亭を思わせる待合の四阿があります。

  

 茶室は藪内流の家元にある名席「燕庵」と「雲脚」の写しである「積翠庵」。建造は主屋より少し早く、1893年(明治26年)のもの。この「燕庵」は、宗家の茶室がなんらかの理由により喪失した場合に古いものから宗家へ移築する取り決めがあり、その為に正確に模写することが前提とされていて、この「積翠庵」も材の節目までも正確に模写されています。「燕庵」と「雲脚」は宗家ではそれぞれ別の場所に配置されていますが、ここでは水屋を挟んで繋がっており、タイプの異なる二つの茶室を用途に応じて使い分ける利便性の高い構成。

 

  

 この邸宅内の一番の異色物件が長屋門横の離れ。11代目の隠居所として建造されたもので、1926年(大正15年)に上棟されました。設計は母家の改造も手掛けた武田五一で、五一の妻がこの西尾家に引き取られて幼少期を過ごしたことから、その縁で妻の実家同様のこの家の設計にあたったとのこと。が仕事の速い五一にもかかわらずこの離れの設計には相当の時間がかかったようで、施主はこの離れを利用する前に亡くなってしまったようです。そのおかげか保存の状態は良好。洋風棟と和風棟とが連なる二部構成となっており、洋風和風両刀使いの五一らしい内容です。ユニークなのが洋風棟の外観は非常に目立たない地味な和風の造りとなっており、これは長屋門横にあり茶道を嗜む当主にとっては調和を欠くという判断の為だとか。

 

 その外観が和風の洋風棟は応接室と撞球場とで構成されており、どちらかというと接待用の施設だったようです。ビリヤード室は格天井に白漆喰壁と床は寄木張りによるシンプルな意匠で、社交場としてはとても落ち着いた空間。ちなみにこの寄木張りは、ビリヤード室・応接室・応接室の暗室扉前でそれぞれ模様を変えた手の込んだ造りです。

 

 

 隣の応接室もビリヤード室同様に格天井に白漆喰壁と床は寄木張りなのですが、出窓と欄間にアールヌーボー風のステンドグラスが入り、照明器具もウィーン分離派風のデザインで造形されており、往時の西欧の先鋭的な意匠が大胆に取り込まれています。五一は2年間の西欧留学の際に、当地で流行しだしていたアールヌーボーやウィーン分離派の洗礼を受けていて、日本にそのデザインを紹介した建築家として知られており、この部屋の意匠もお手の物だったのでしょう。

 

 

 この応接室にはサンルームが併設されていて、こちらは菱型ガラスや化粧屋根裏天井に鉄平石のモザイク張りと、和風建築の意匠が混入した和洋折衷の設えとなり、このあたりは洋風建築だけでなく和風建築にも精通した五一らしい空間です。

  

 奥の和風棟へは斜行する渡り廊下で繋がります。あらかじめ互いの内部を見せない為の工夫だとか。その渡り廊下自体にも凝った遊びが施され、天井を船底の形状にして皮付き丸太の垂木を並べた、茶室で多く見られる化粧屋根裏天井で編まれています。和風棟の玄関前の廊下も船底の網代天井とこちらも茶室の意匠。ちなみに洋風棟のサンルームから和風棟へは、飛石伝いに中の土縁まで進むコースも可能で、このあたりも茶室の露地風です。

  

 和風棟は数寄屋風の座敷が並び、茶室も設けられています。桐を多くあしらった繊細な意匠の空間で、洋風棟の社交的な趣と違い、老後をのんびりと過ごすのには程好い感じ。奥の8畳の座敷には洋風棟から飛石伝いで来られる土縁が付設されていて、大きな丸窓が印象的です。床は禅宗寺院の仏堂で多く見られる瓦の四半敷き。ちょっとした腰掛もあり、老人向けの和風サンルームといったところなのでしょう。

 

  



 「吹田文化創造交流館」
   〒564-0032 大阪府吹田市内本町2-15-11
   電話番号 06-6381-0001
   開館時間 AM9:00〜PM5:00
   休館日 12月29日〜1月3日