那谷寺 (なたでら) 重要文化財



 加賀温泉郷の一つ粟津温泉のすぐ近くにある那谷寺は、北陸には少ない真言宗のお寺で、密教寺院らしく山深い森の傾斜地に諸堂が点在して建てられた、いかにも修験場のような趣を漂わせる名刹。開基は717年(養老元年)と古く、密教教義の道場として栄えた寺でした。ちなみに北陸に密教寺院が少ないのは、越前に曹洞宗の総本山永平寺がある為に禅宗寺院が多いことと、蓮如上人の布教により浄土真宗が庶民層に強く広まったことから。実際にこの那谷寺も中世に戦乱や一向一揆などで灰燼に帰しました。密教は時の権力者に庇護される事が多く、南北朝に消失した諸堂も江戸期になって加賀前田家の尽力により復興し、現在の姿となった模様です。
 山門を潜ってすぐ左手に現れるのが金堂の華王殿で、中世に荒廃していたものを1990年(平成2年)に650年ぶりに再建したもの。総檜造りによる鎌倉期の和様建築で、鮮やかな丹塗りの巨大な仏堂。この金堂の右手に「普門閣」と呼ばれる白山麓の古民家を移築した宝物館があり、左手に書院があります。

 

 その書院は隣の派手で巨大な金堂とは間逆の落着いた佇まいの平屋の建物で、江戸初期の慶安2年に創建されたもの。外観は屋根が銅板葺きの入母屋造りで、元々は諸堂が焼失後に仮の本堂として建てられた物を、1950年(寛永17年)に加賀3代藩主前田利常により書院に改造された建物で、国の重要文化財に指定されています。

 

 この書院は庫裏と一体となっており、庫裏の土間部は高く吹き抜けて自然木を組み合わせたな梁組みが見られます。玄関入口にも当時としては珍しかった土天井が施されており、他の書院と多少異なる意匠となっています。
 間取りは利常公が御座する「御成の間」とその前の入側が「家老の間」、御成の間の背後に対面所の「琴の間」と「仏間」に「鞘の間」と呼ばれる装束の間となり、どの部屋も華美なものは一切ない非常にシンプルな意匠。武家屋敷のような簡素でありながら重厚性を感じさせる建物です。柱が1間毎に入り、御成の間が床と違い棚が離れて設える初期の書院造りの様式です。

  

 

 この御成の間の前面に庭園が造られています。利常公が庭の眺めを楽しめる為に1635年(寛永2年)作庭にあたらせたもので、苔むした土地に石を置き石燈籠を配した構成の庭。国の名勝指定。三尊石型と呼ばれる石組みと飛び石に雪見燈籠の配置が絶妙で、周りの樹木と苔が柔らかなトーンを与えて、あざとさのない自然な風景を作り出しています。
 書院の奥には「琉美園」と呼ばれる別の庭園もあり、書院庭園と違った池泉回遊式の奥行きのある庭で近年復元されたもの。途中に背後に高い岩崖を露呈させた池があり、元々滝があった場所だったとか。一番奥には茶室もあります。

 

 

 金堂や書院があるのは山門を入ってすぐの場所。この先の本堂へは杉並木と林床が美しい苔で覆われた広い参道を進むます。やがて左手に剥き出しの岩肌に石段や祠が祀られた、ちょっと不思議な風景が広がります。「奇岩遊仙境」と呼ばれるこの景色は、密教僧が修験地に選んだのも頷ける冥界を思わせる怪異な形状で、海底噴火の跡との話。

 

 この奇岩遊仙境沿いの参道を奥に進み、唐門を潜って石段を登ると崖にへばりつく様に建てられた本堂へ至ります。清水寺同様の舞台を組んだ懸崖造りの建物で、前田利常公の寄進による江戸初期の1642年(寛永19年)の建造。国の重要文化財指定。この本堂は「大悲閣」と呼ばれ、拝殿・唐門・本殿の3棟から構成された建物群となり、特に拝殿は装飾が豊富で欄間に鹿・鳳凰・鶴などが極彩色で彫り込まれています。一方本殿は拝殿の奥の岩窟の中にこじんまりと建てられた仏堂で、屋根も軒先も無いプリミティブな造り。この本堂からは岩肌を削った細い参道がさらに奥へと続き三重塔へ至ります。

 

 

 本堂から山上湖の湖畔を廻って森の中に忽然と現れるのが三重塔で、これも本堂同様に前田利常公の寄進により江戸初期の1642年(寛永19年)に建造されたもの。この塔も国の重要文化財指定。屋根が檜皮葺で相輪の先端までの高さが11.5mの小さな塔で、この建物も本堂同様に装飾が豊か。壁面の唐獅子牡丹や桟唐戸の菊花模様など精緻な彫刻が施されています。

  



 「那谷寺」
   〒923-0336 石川県小松市那谷町ユ122
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   拝観時間 3月1日〜11月30 日 AM8:30〜PM4:45
          12月1日〜2月末日 AM8:30〜PM4:30
   拝観休止日 年中無休