中西家住宅 (なかにしけじゅうたく) 守口市指定文化財



 「おけいはん」の京阪電車は国道1号線の京街道を横目に、淀川沿いをウネウネ進みます。この京阪はJRと喧嘩でもしているのかJRとの連絡は妙に悪く、大阪-京都間を結ぶわりにはJRの大阪駅と京都駅とはつながりません。共に中心地である淀屋橋と祗園に駅を持ちますが、沿線の方は便利でしょうが他の地域から来る場合は経路に結構頭を悩ませます。
 その京阪電車、大阪栄薬局(ダイエー)の創業地だった千林とか、世界の町工場松下の門真とか、関西人以外は読めない宿場町である枚方(ひらかた)など、下町テイスト濃厚の庶民的な街並と、田圃と畑の広がるカントリーサイドを進むのんびりした鉄道で、関東で言うと東武東上線みたいな電車です。線路と帯同する京街道は京都−大阪間のメインストリートだったせいか古来往来が盛んで、宿場町も多く開かれ、今でもそこかしこに往時を偲ばせる物件なども遺されていたりします。
 大阪を打って出て、最初の宿場町が守口宿。大阪の守り口だからとか、森の入り口だったからなど命名に由来があるようですが、かつては卯建を上げた旅籠が20軒以上並べて、行き交う旅人が足を休めて賑わった宿場町でした。今では隣の門真絡みで松下の下請け工場が林立する油染みた町に変貌しましたが、大塩平八郎の書院とか江戸川乱歩が明智小五郎を生んだ家とかが遺されていて、結構歴史を感じさせる場所もあったりします。市内東部の寝屋川に近い大和田地区に、武家屋敷だった中西家住宅も遺されていて、市が管理し公開されています。

 

 中西家は「太平記」にも名前を見せるほどの旧家で、この守口に居を構えたのは16世紀中頃のこと。尾張徳川家の藩祖徳川義直の生母お亀の方の実家ということから、代々尾張藩の要職に就いた家柄で、尾張藩天満蔵屋敷の奉行を長らく務めていました。そのような格式の高い家柄から、大きな主屋に立派な長屋門や沢山の土蔵を並べた、規模の大きな武家屋敷が構えられた理由となっているようです。主屋は1555年(弘治元年)に創建され、江戸初期の1616年(元和2年)に再建、現在の建物は1793年(寛政5年)に建てられたものです。木造平屋建てで屋根が入母屋造りの桟瓦葺き。長屋門は1776年(安永5年)に再建されたもので、入母屋造り本瓦葺き。
 格式の高さはその入り口の多さにも表れていて、式台付きの大玄関・内玄関・大戸口・東戸口と4ヶ所もあります。大玄関は殿様などの格式の高い人物の迎接用で、床の間も付いた6畳敷の座敷。この床裏に半間の廊下があり、大玄関を通らずに直接接客用の座敷へ渡る事が出来て、大名屋敷と同じ手法の構成となっています。大玄関の隣に内玄関があり、ここは当主や当主と同格の人物用のもので、大玄関と違いすぐ隣に土間と接する口の間が続く生活空間への入り口にもなり、利便性にも優れていたようです。

 

 

 大戸口と東戸口は土間への入り口で、家族や使用人が使う出入口。中の土間は武家屋敷と思えないほど広大な敷地を占めていて、ずんぐりと黒光りした大黒柱を立て、そこに野太く逞しい直径72cmの牛梁を架けて豪壮な梁組みを見せるさまは、まさに豪農屋敷を思わせる造りです。主人が尾張藩天満蔵屋敷の奉行として詰めていたので、ここで家族が小作経営をし、このような農家様式の造りにしたのではないかと推測されています。奥には6口の竈屋もあり、家族や使用人の多さも偲ばれます。

 

 

 土間の座敷に接する場所は通常板敷きになるのですが、ここは広敷と呼ばれる8枚敷きの畳敷きとなり、こんな所にも格式の高さが表れているのかもしれません。この広敷と隣の「茶の間」「台所」「口の間」との間には、やはり豪農屋敷で多く見られる長大な差鴨居が嵌め込まれています。武家と豪農がクロスオーバーしている空間です。
 この主屋は部屋数が多く、15部屋ほどあります。大玄関から直列に奥へ「中の間」「仏間」「居間」と並び、土間側の「口の間」「台所」「茶の間」にもそれぞれ接しており、このあたりが建物中心ラインとなっています。居間には武家屋敷らしく、刀掛けがあります。

 

 

 「中の間」「仏間」「居間」の中心ラインから、西側に2本の触手が伸びるように座敷が続き、北側が家族の居宅用、南側は接客用の空間となっており、特に南側の書院座敷は丸窓の付書院のある数寄屋風の造りで、南側には茶室も付属した瀟洒な12畳の広間。

 

 この座敷と大玄関との間に「次の間」があり、この座敷も床の床柱に皮付き丸太を使い、落掛もナグリを入れた数寄屋の意匠が取り込まれています。
 茶室は復元されたもので、3畳半の本勝手。屋根は茶室に珍しく檜皮葺きで、貴人口を開けて床は畳床に屋根は全面網代天井と、ちょっとユニークな構成。扇形の窓も他ではあまり見ない意匠です。

 

  

 北側に伸びる家族用の座敷はわりとシンプルな意匠で、家族の寝室として使われていたそうです。南側の接客用の座敷は庭園に面した明るい空間ですが、この家族用の居室部は縁側が北側だけなので、少々薄ら寂しい感じ。
 茶の間から北へ突き出すように、女部屋と湯殿のある棟が渡り廊下で繋がります。ここも茶室同様に復元された建物で、女部屋は3畳間の薄暗い女中部屋、隣に湯殿があります。

 

  

 書院座敷の周りは石橋や十三重塔などを設えた枯山水の庭園が広がります。茶室の露地だったりもするので、一角には石燈籠や蹲踞もあります。

 

 



 「中西家住宅」
   〒570-0012 大阪府守口市大久保町4-2-26
   電話番号 06-6903-3601
   開館時間 AM10:00〜PM5:00
   休館日 月曜日 12月29日〜1月3日