妙法院庫裏 (みょうほういんくり) 国宝



 京都駅烏丸口の鼻っ面をかすめて東西に走るのが七条通りで、東へ向かって鴨川を越えて三十三間堂と京博との間の坂道を駆け上ってどん突きにあるのが庭園と障壁画で知られる智積院、その広大な智積院の敷地の北側にあるのが妙法院という天台宗のお寺となります。この東山七条交差点界隈は民家・マンション等の住宅建築が皆無な場所で、専売病院・京女(京都女子大・高・中)養源院・ホテルと1Km四方は寺社・学校・病院・宿泊施設以外は何もありません。これは秀吉がここに方広寺大仏殿という巨大仏堂を造ったのがそもそもの始まりで、秀吉没後豊国廟や豊国神社が次々に出来て豊臣ゾーンとなり聖域化したのがその理由。京博は方広寺の一部だった場所で、今でも石垣が残されています。妙法院もその大仏殿を造営する際に経堂として再興された寺院で、豊臣家ゆかりの桃山期らしいスケールの大きな陣容がその特徴。

 

 開山の謂れは比叡山西塔の里坊にあり、鎌倉期に八坂神社前に引越して門跡寺院として栄えたようですが市内中心部ということもあって応仁の乱で全焼、衰退の極みをヒタヒタと歩んでいたのを秀吉に見染められて当地に移って復興したのがその経緯です。あまり知名度が高くはないのですが天台宗の代表的な門跡寺院で、方広寺や三十三間堂も管轄下に持ち、国宝や国重要文化財も多数保有する文化財の宝庫でもあったりします。
 東大路通り沿いの山門を抜けると、門跡寺院らしく御殿のような建物が連なって建ち並ぶ姿が見られますが、その中でも一際目を引くのが山門正面に立ちはだかる唐破風屋根の巨大建築物。これは国宝に指定されている庫裏で、やはり秀吉が大仏殿の千僧供養を行った際の遺構だとか。1604年(慶長9年)の建造。

 

 庫裏とは寺院の台所ですが、一般的に庫裏は煙を上部に逃がす為に勾配のきつい切妻屋根を持ち、白漆喰壁を正面に見せて妻入りとするのが多くみられるところ、この妙法院は屋根が入母屋造りで勾配も比較的ゆるく造られています。おそらく内部空間を広く取るために独自の手法が取られたと考えられ、庫裏の場合は桁行よりも奥行が狭くなる(横長の平面)傾向があるのに対して、この庫裏はほぼ正方形に近くしかも奥行の方が長い平面を持っているのがその理由なのでは。同じ国宝に指定されている松島の瑞巌寺庫裏は桁行23.6m奥行13.8m、同じ京都市内でこの妙法院同様に大型の庫裏である妙心寺庫裏は桁行25.8m奥行18mと妻正面よりも側面が長くなりますが、この妙法院庫裏は桁行21.8m奥行23.7mと妻正面のほうが長くなり、安定的に広い面積を支えるには切妻屋根よりは入母屋屋根のほうが構造上有利なのでしょう。
 本瓦葺を敷いた屋根の上には排煙口として小屋根が乗っていますが、実は火の見櫓兼監視用の役目もあるとか。要塞のような威容の庫裏です。

 

 内部は土間と広い板の間で構成されますがこの板の間が圧巻で、千人の僧侶を迎え入れる為に約80畳の広さを持っており、さらに柱が一本も立てられておらずまるで演劇の舞台のよう。奥に左右18畳の座敷が並びます。

 

 そして何よりも特筆すべきはその天井部。低い段は梁や柱に天然の巨木を巧みに噛み合わせて広い空間を造り、その上の段を精緻な梁組を密集させて屋根裏を支えています。豪壮な軸部と繊細な小屋組で巧妙に構成されたこの構造体は見る者を凌駕する圧倒的なもので、庫裏として国宝に指定されている(2件しかない)のも頷けるところです。
 高さは約18mあるそうで、天窓から細かな小屋組によって乱反射された外光が、ベールのように淡く優しい光となって板の間に降り注ぎます。まだ黎明の朝食時に称名を唱える僧侶達に上に、柔らかな薄明かりが天上から射し込むのでしょうか。

  



 「妙法院」
   〒605-0932 京都府京都市東山区妙法院前側町447
   電話番号 075-561-0467
   非公開 春秋時に特別公開有