水俣メモリアル (みなまたメモリアル)



 戦後の高度経済成長の暗部とも言える公害問題、その代表とも言える存在が熊本県の不知火海で発症した水俣病でした。戦前の十五代財閥の一つにも数えられた日窒コンツェルンの中核企業である日窒窒素肥料(現チッソ)が、主力事業所の水俣でアセトアルデヒド精製の際に排出されるメチル水銀を未処理のまま海に垂れ流し続け、その結果深刻な海洋汚染を引き起こし、汚染された魚介類を食することによって脳の中枢神経を激しく攻撃され、手足の間隔麻痺やしびれ・ふるえ、視野狭窄や難聴等の人体の様々な神経疾患を発生させる病気です。
 水俣はチッソの企業城下町だった為に地元社会・経済のあらゆる箇所に深くかかわっており、昭和20年代から水俣病の症状が見られるにも関わらずチッソや国は関連性を否定し住民たちも口をつぐみ、水俣病患者をタブー視する風潮も見られたほどでした。ようやく1968年(昭和43年)に排水が停止されるまでにその被害は拡大し、鹿児島県から天草諸島までも患者数の範囲は広がっています。国や県は責任を認めず、その賠償を巡っても近年まで報道があるように数十年たっても後遺症に悩まされるという事態は、福島第一原発事故の場合と似ているのではないでしょうか?このあたりの経緯を詳細に紹介している水俣病資料館が不知火海を望む岬の縁にあり、無料で公開されています。
 ところでこの資料館の周囲は園地化されており、海を望む芝地の広がる緑豊かな気持ちの良い環境で、とてもそんな重大な社会事件が起きたとは思えない場所。ここに鎮魂の意味を込めてか「水俣メモリアル」というモニュメントがあります。

 

 

 熊本県は県内の公共施設に「熊本アートポリス」というアートと建築物が一体化した街づくりプロジェクトを進めており、このモニュメントもその一環として公開コンペが開催され、イタリアの建築家ジュセッベ・バローネ氏の案が選ばれています。1996年(平成8年)8月に完成。
 その内容は不知火海へ突き出す様に伸びる明神崎の傾斜地に、段々状に不定形なテラスを設け、そこに直径40cmの108個のステンレスボールを散りばめるという構成で、光り輝くボールは犠牲者の魂であり命を奪ったメチル水銀も象徴しているのでしょう。この場所は西向きなので、夕暮れ時になるとそれぞれのボールは夕陽を浴びてオレンジ色に染まり、幻想的な光景が広がります。

 

 

 テラスの海側にはまるでモノリスのように透明ガラスが屹立しており、その上部には水を伝って落ちる「祈りの噴水」があります。その噴水から滲みだす水の流れは犠牲者の涙でもあり、命を奪った母なる海へ還る為のゲートのようにも思えます。

 



 「水俣病資料館」
   〒867-0055 熊本県水俣市明神町53
   電話番号 0966-62-2621
   開館時間 AM9:00〜PM5:00
   休館日 月曜日 12月29日〜1月3日