萬福寺 (まんぷくじ) 重要文化財



 JR京都駅から奈良線に乗って南へ進むと、宇治駅の一つ手前に黄檗(おうばく)駅というこじんまりとした静かな駅に到着します。ここは黄檗宗の大本山萬福寺の門前に当たる場所で、駅の名前も当然その宗派によるもの。でもこの地名は萬福寺自体が、本家本元の中国福建省福州の黄檗山萬福寺をそのまま模して造られているからで、高峰山を背後に宇治川を前にしたこの風光明媚な環境が、本場中国の禅の道場を再現するのに適しているのでしょう。それだけ山内は中国様式に基づくグランドデザインがなされており、例えば平面では大きな龍の形を成していて、西に頭部、東に尾を配し、門前に眼にあたる二つの井戸(龍目井)を置いて、総門を入ったその先に心臓にあたる放生池を造る等、おそらく中国得意の風水に基づく空間設計が成されています。色々な意味で中国文化の環境を復元させた興味深い寺院ではあります。
 まずはそのイントロダクションでもある総門は、中央部を一段切り上げたまさしく中国風の意匠で、黄檗宗独特の様式。国の重要文化財指定。

 

 この萬福寺は、明の高僧だった隠元隆g禅師が招聘されて来日し長崎に赴き、その後徳川四代将軍家綱の寄進により、御水尾法皇の生母の別荘地だった当地が与えられて、1661年(寛文元年)に開山した由来があります。まず最初に西方丈から建築が始められて、その後順次に諸堂の建築が進められ、約30年の年月を経て1693年(元禄6年)の総門建立をもって伽藍が整いました。山内は山門・天王殿・大雄宝殿・法堂を中心軸として東西に直列に据え、その中心軸をシンメトリカルに禅堂・斎堂・鐘楼・鼓楼が整然と立ち並び、各建物を回廊で結ぶやはり中国様式の構成で、それぞれの建物の間隔が広くとられ、各建物のスケールが大ぶりなことから大陸的な雰囲気が醸し出されており、松の多い植生も含めてそのあたりも中国的な風景が再現されています。
 総門を過ぎて放生池の東側に構えるのが大きな山門で、1678年(延宝6年)に建造された三間二戸の二階建ての門。国の重要文化財指定。

 

 山門から約70m程先の一段高くなった場所に、玄関にあたる天王殿があります。玄関と言っても桁行5間奥行3間もある大型の仏堂で、これだけでも並みの寺なら本堂として使えるスケール。1668年(寛文8年)に建造された入母屋造りの建物で、山内では珍しい和様の意匠が濃厚な仏堂です。国の重要文化財指定。
 勾欄が少々変わっていて、黄檗宗の寺院に多い中国風の丹塗りのものが付けられていますが、この天王殿ではチベット式の]式の形状で造られている点で、この奥の法堂や開山堂ではまた違った形式で組まれているあたりもポイントの一つです。
 またユニークなのが正面中央部に大きな布袋像が祀ってあることで、なんでも日本最古都七福神の布袋尊にあたる寺だとか。ここでこの布袋様に手を合わせ身を清めて奥に進むそうです。

 

  

 この天王殿の両端から回廊が手を出し、その回廊が奥に腕を伸ばして囲みこむように建つのが本堂である大雄宝殿。天王殿の背部から菱紋の石畳が参道として奥へと続きますが、これは龍の鱗を表すものだとかで、住職専用のもの。その鱗の行先は月台と呼ばれる一段高くなった白砂の基壇で、この基壇上に大雄宝殿がその威容を晒しています。
 1668年(寛文8年)に建造された仏堂で、隠元禅師が77歳の竣工されたもの。ちなみにこの5年後に入寂します。屋根は入母屋造りの本瓦葺で、大きさは桁行3間奥行3間。平面では正方形ですが、この桁行3間は天王殿の5間と同じ長さなので、奥行では天王殿の倍以上の大きさになります。急勾配と反りの強い屋根に裳階を付けた外観は禅宗様式に共通の意匠ですが、屋根中央部に宝珠を、端部に鯱を載せた形式は黄檗宗独特のもの。国重要文化財指定。

 

 

 黄檗建築の代表的な建物として知られるこの大雄宝殿は、その特徴が顕著に見られるのが前面吹き放しの庇の部分。通り1間分の天井部がアーチ状を描き、輪垂木の蛇腹を延ばした独特の構成で、黄檗天井とも呼ばれています。この蛇腹は龍の腹を表したものだそうで、ここでも龍のモチーフが。軒を支える束は菊花状断面の縦溝を入れた特異なもので、柱は全て角材を用いており、角型の沓石に載っています。
 大きな丸窓や桃の図案(魔除け)を彫り込んだ正面の扉等、中国趣味濃厚な様式が目に付きますが、ベースは既存の禅宗様式に依ったもので、例えば長崎の崇福寺・興福寺の唐人の手による完璧な中国様式のものとは異なり、和人の手によるこの仏堂は日本風にかなりアレンジされています。隠元禅師が明から来日し最初に逗留した長崎ではなにもかも中国式で問題は無かったのでしょうが、京に移り住み長年の和風生活の中で少しずつ変化を見せて、特に室町期に隆盛を見せた東山文化が強固なものとして君臨していたことから、自ずと取りこまれて行ったということなのでしょう。
 この建築様式がプロトタイプとして、全国各地に同形式の仏堂が建てられていきます。(長崎の聖福寺・東京の瑞聖寺・萩の東光寺)

 

 

 内部は床が瓦の四半敷となり、沓石に載った角材の柱が林立して、鏡板の天井を支えます。中央の四天柱に花崗岩の須弥壇が置かれ、本尊である釈迦如来が安置されて、周囲には十八羅漢が配置されています。

 

 この大雄宝殿のさらに奥に、講堂である法堂があります。大雄宝殿よりも建築は早く1662年(寛文2年)に建造されており、屋根が入母屋造りの桟瓦葺。大雄宝殿と同形式の仏堂で前面1間通りはやはり黄檗天井となっていますが裳階は無く、基壇上に建ちますが月台はありません。変わって前面に勾欄が延ばされており、ここでは卍崩しの文様です。この法堂の左右に東西の方丈が連なります。何れも国の重要文化財指定。

 

 

 天王殿・大雄宝殿・法堂を中心軸として、北側に慈光堂・禅堂・祖師堂・鼓楼が、南側に斎堂・伽藍堂・鐘楼がそれぞれ平行に東西に建ち並び、それぞれ回廊で結ばれます。全て国の重要文化財指定。この中で食堂である斎堂の前には、開板(かいばん)と呼ばれる大きな木製の魚が釣下げられています。木魚の原型となるものらしく、食事や儀式の際に叩かれるそうで、今でも現役。

 

 

 山門の北側に、伽藍とは別に松蔭堂があります。隠元禅師が1664年(寛文4年)に萬福寺の住職を辞して隠居していた場所で、没後の1675年(延宝3年)に開山堂を建てて開山隠元を祀っています。この開山堂は先に竣工された大雄宝殿と同形式でまるでコピーのような建物ですが、やや小さなスケールで前面は全て桟唐戸となり丸窓はありません。また法堂同様に勾欄が付けられ、ここでは卍の文様です。
 開山堂の奥には舎利殿と隠元禅師の墓所である寿塔があり、手前西側には客殿と庫裏があります。この客殿は屋根が柿葺の純和風による住宅建築で、中国趣味濃厚な山内ではかえって異色な建物。全て国の重要文化財指定。

 

 



 「萬福寺」
   〒611-0011 京都府宇治市五ヶ庄三番割34
   電話番号 0774-32-3900
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   拝観時間 AM9:00〜PM5:00