功山寺 (こうざんじ) 国宝



 瀬戸内に臨む静かな城下町長府、ごく狭い地域に迷路のように土塀が続き、長屋門を構えた武家屋敷跡が点在する歴史の深さを感じさせる街並を持つ場所。下関市にあるものの市中心部からは遠く、JRの長府駅からも離れたこの地域は、そのせいかあまり観光ずれしていないものその魅力の一つかもしれません。ちょっと高台に上がると瀬戸内海の穏やかな風景も見え、その緩やかな情景は時が止まったような錯覚さえも感じられます。嘗ての国府だったこともあり、古刹や由緒ある神社が風情ある街並の中に、何の違和感もなく溶け込むように建てられています。土塀の美しい古江小路の奥にある、山の麓にあたる功山寺は長府を代表する名刹で、大きな山門が目を引きます。

 

 その山門を潜ると正面に見えるのが、国宝の仏殿です。この仏殿は建立年代が判明している禅宗仏殿では最も古い建物で、建立は鎌倉後期の1320年(元応2年)。この功山寺は当初は長福寺という臨済宗の寺で1320年の開基、桃山期に曹洞宗に改宗し江戸初期に功山寺と改名しました。仏殿は開基当時のもの思われますが、室町期に裳階部分に改造があった模様で、大きさは桁行3間奥行3間、屋根は檜皮葺の入母屋造りで一重の裳階付き。禅宗仏殿としては規模が大きく、身舎は鎌倉の円覚寺舎利殿の裳階と同じ大きさです。

 

 純粋な禅宗様の仏殿なので、中国風に花頭窓や桟唐戸に弓形欄間を備えた意匠を持ち、軒先も放射状の扇垂木で構成して、詰物と呼ばれる軒下の柱の間に組物を多く配した、和様や大仏様では見られない独特の外観を見せています。内部も四半瓦敷き土間に上下部分が細い粽型の列柱を林立させて、海老虹梁と大瓶束で繋げた装飾性の強い構造材で支えています。(内覧不可)。屋根の美しい反りが軽快な印象を与え、細部まで繊細な意匠でまとめられた、禅宗仏殿としては比類ない美貌を持つ建物です。

 

 

 仏殿の右隣のあるのが法堂で、禅宗の本堂にあたる建物です。この法堂は内陣の両脇に座敷があり、「御座の間」と呼ばれる書院の部屋があります。毛利家の殿様が参拝する時に使用していた座敷だった模様。

 

 その法堂の右隣が庫裏で、庫裏の奥に書院があります。この書院は1835年(天保7年)に毛利元義が建立寄進した建物で、幕末に三条実美ら公家7人が京都から長州に逃れた際に、うち5人の公家が滞在していた座敷で、「七卿潜居の間」と呼ばれています。心字池を配した苔むした庭園に臨み、茶室も備えた瀟洒な部屋で、蟄居の身も気が紛れたのではないのでしょうか?

 

  



 「功山寺」
   〒752-0979 山口県下関市川端1
   電話番号 0832-45-0258
   FAX番号 0832-45-1332
   拝観時間 書院・庭園AM8:00〜PM5:00 仏殿は拝観自由
   拝観休止日 不定休