弘道館 (こうどうかん) 重要文化財



 水戸市内、旧茨城県庁の隣に旧水戸藩の藩校であった弘道館が建てられています。第九代水戸藩主の斉昭(烈公)により創設された学校で、1840年(天保11年)に着工し、翌年の1841年(天保12年)8月に開館されました。元々は水戸黄門で御馴染みの第二代藩主光圀(義公)が藩士の養成のために構想を立ち上げたもので、光圀公自身は大日本史編纂にかかりきっていた為に着手することが出来ず、時を経て改めて幕末の時期に完成を見ました。時期が時期だけに藩士の養成以上に、国家の礎になる人材を育成しなければならないとの見地から、文学・武道・医学・薬学・天文学・蘭学と幅広い分野の学問・研究が行われ、今で言う総合大学としての機能も果たしていました。
 当時は今の旧県庁や隣の三の丸小学校も含む広大な敷地を持ち、面積は17.8haほどあります。現在は弘道館公園と名付けられた園内には、学業の中心であった正庁・至善堂、水戸学の根本である儒教の祖孔子を祀った孔子廟、鹿島神宮の分霊を祀った鹿島神社、学生に時を告げる鐘楼の学生鐘楼、弘道館記念碑が収められた八卦堂などが点在してあり、また梅樹60品種800本が植えられており、梅の名所としても知られています。

 

 園内最大の建物である正庁は藩主が臨席した公式のレセプションホールで、外観は桟瓦葺の入母屋造りに西面に寄棟造り、南面に玄関を付けた平屋の建物。簡素な外観ですが屋根の反りが低いので軽快な表情もあわせ持つ美しいプロポーションを備えています。国の重要文化財指定。

 

 内部は6部屋がとられ、正席の一の間は24畳、二の間は15畳、三の間は12畳、玄関の間は24畳で床の間が付き、溜(たまり)の間は12畳と6畳の構成。一の間は床の間に違い棚と書院が付けられた格式高い意匠を持つ部屋で、藩主が臨席していた場所でした。ここで文武の大試験や公的な儀式が行われていた模様です。違い棚の上の戸袋には梅木の絵が描かれていて、その隣の床の間には「弘道館記」の拓本大幅が掛けられています。
 長押や畳の縁にも葵の紋所が織り込まれています。この正庁内には広い畳廊下が各部屋の周りに廻らされており、縁側としての通路の機能と、防衛上の外側との緩衝地帯としての機能とを併せ持ち、さらに室温調節としても有効でした。

 

 

  正庁の奥に至善堂があります。この至善堂は藩主の休息場として設けられた建物で、外観は正庁と同じく桟瓦葺で寄棟造りの平屋建て。この正庁から至善堂へ繋がる広い畳廊下は両側に格子状の窓が開けられていて、柔らかな採光が入り込む空間になっています。

 

 至善堂の内部は4室。最奥の御座の間が藩主の休息場だった部屋で、床の間に棚が付いたやはり格式の高さを重んじた部屋です。ここは徳川慶喜公が子供の頃に教育を受けた場で、その後大政奉還後に将軍職を辞した後に謹慎の場として使われました。床の間には要石歌碑の拓本の書が掲げられています。他の三部屋は諸公子の勉学の場所に当てられていました。この至善堂も国の重要文化財指定。

 

 



  「弘道館」
   〒310-0011 茨城県水戸市三の丸1-6-29
   電話番号 029-231-4725
   FAX番号 029-227-7584
   開館時間 AM9:00〜PM4:00
   休館日 12月29日〜12月31日