高台寺傘亭・時雨亭 (こうだいじかさてい・しぐれてい) 重要文化財



 秀吉の妻ねね(北政所)は秀吉の死後出家し、高台院湖月尼と称して祗園近くの東山の山裾に寺を造り、秀吉の霊を弔い余生をここで過ごしました。寺を創建の際に、伏見城や康徳寺の遺構を移築して作られたとの言い伝えがあり、境内は華美な建造物が立ち並んだ壮麗を極めた情景が広がっていた模様ですが、度重なる火災で大半が焼失し、現在は開山堂・御霊屋・観月台などを残すのみとなりました。境内の最奥の一際高い山の中腹に佇む茶室の傘亭と時雨亭もその残された遺構の一つと伝えられています。

 

 この二つの茶室は秀吉が伏見城築城の際に千利休に命じて作らせたとの説があるのですが、利休は伏見城の造営が始まる1594年(文禄3年)の3年前に自刃しているのでこの説はあてはまりませんが、秀吉が利休を偲んで作らせたとの説もあり、伏見城遺構説も含めて確証はありません。1940年(昭和15年)の修理の際には桃山時代から江戸初期の建造と検証されました。ともに国の重要文化財指定。
 傘亭は外観が茅葺の平屋建て宝形造りで鄙びた草庵の風情です。この茶室は入り口が二ヶ所あり、西面中央と土間廊下側の東南隅にあるのですが、ユニークなのが西面側の構造で、扉が上下に分かれ上扉の小竹詰打ちの揚戸は屋内へ蔀戸のように跳ね上げて釣り木で留め、下の板戸は右側に引き込むという珍しい造り。揚戸の跳ね上げた姿が軽快な表情を与えています。

 

 内部は隅に上段の一畳を敷きその隣に一畳分の土間、その土間の周りに六畳の座敷に台目二畳分の板間を張り出した構成。窓が非常に多い茶室で、東西南北各面に大きさの違う中連子窓が開けられていて10箇所ほど。天井は傘亭の由来となった開いた傘を下から見上げたような姿をとっており、屋根裏の竹垂木が頂上の一点に集まり、そこを一本の束が下から支えた構造。その束木に大きな額が掲げられていて「安閑窟」と書かれています。この傘亭は当初この「安閑窟」と名付けられていました。

  

 傘亭から土間の渡り廊下でもう一つの茶室時雨亭に繋がります。この土間廊下は吹き放しの構造で、杉皮葺の切妻屋根を皮付丸太の柱が両側から支えた軽やかなフォルム。時雨亭は屋根が入母屋造りの茅葺で総二階建て。間口が二間半、奥行き一間半で、四隅を控え柱が支えています。土間からは木の階段で時雨亭の二階へ上がるユニークな構造を取り、傘亭との変化がありユーモラスな表情をも与えています。

 

 この茶室は二階が主要部になっており、一階は土間で竈を付けた勝手の場として使われていた模様です。二階は西半分が上段、東半分が下段の板張りの涼み台になっていて、上段は三方面に低く腰板を周して上から突き上げ窓を吊るし、下段には床の間と中柱の袖壁の裏に吊り棚と竈が付いた構成。床の間の壁には丸窓が開けられ、外の景色を掛け軸とした趣向で、素朴で開放的なこの空間に寄り添っています。天井は傘亭同様に板が張られず、屋根裏が丸見えの野趣に富んだもの。この上段からの眺望はことに素晴らしく、木々を渡る風を受けながらの野点のような開放的な茶事が行われたのでしょう。傘亭・時雨亭ともに、茶室といいながらも風の吹き抜ける軽快な庵で、まるで中国の山水画に出てきそうな趣きさえ漂う、肩の力が抜けた独創的な建物です。

 



 「高台寺」
   〒605−0825 京都府京都市高台寺下河原町526
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