喜多家住宅 (きたけじゅうたく) 重要文化財



 金沢市中心部の香林坊からバスに乗って15分あまり、金沢とは打って変わって静かな隣町野々市の中心部に、老舗の造り酒屋「喜多家」があります。元々は越前武士の出だった当家は、江戸初期にいわゆるリストラの憂き目に会い当地に移り、油屋の商いを始めその後幕末に酒造業に転業、1891年(明治24年)に野々市で大火があり建物の大半を焼失し、その年の酒の仕込みに間に合わないということから、金沢市内材木町にあった醤油問屋「田井屋惣兵衛」の建物を移築したのが現在の姿。建造は19世紀初期で約200年程前のこと。不思議なことに金沢市内には古い町屋や民家は殆ど無く、この喜多家に移築された建物が唯一残された遺構だそうで、国の重要文化財に指定されています。ちなみに野々市の大火はフェーン現象が原因らしく、1901年の高岡でもフェーン現象による大火により、町が灰燼に帰しました。金沢に古い建造物が意外と少ないのも、北陸特有のこの気象条件が一因だそうです。
 敷地は正面30mに渡って道路に面し、奥行きが73mもある広大なもので、主屋と道具倉が並んで道路際に建ち、主屋の奥に酒蔵・米置場・貯蔵庫等が立ち並んでいます。主屋の外観は、広さが正面桁行22.2m奥行15.1m、屋根が桟瓦葺きの切妻の二階建てで、建ちの低い造り。正面右二間を落棟とし、落棟との境に大戸口を開き、それより左手に細格子を並べて二階を設けてあります。

 

 大戸口を潜って中に入ると、内部は奥に向かってトオリニワと呼ばれる広い土間空間になり、奥に酒蔵や貯蔵庫へと続いています。このトオリニワに沿うようにオエと呼ばれる居間があり、13畳敷きの畳とトオリニワ寄りに板の間を張り、囲炉裏を切ってあります。ここの囲炉裏には独特の灰による紋様があり、一週間ごとに主人の奥方が設えるそうで、代々伝えられている風習だとか。炉縁は黒柿で、上からは欅材の大きな自在鍵が吊るされています。
 このトオリニワとオエとが一体となった空間は高く吹き抜けていて、上部に梁や束を巧みに組み合わせた架構が造られています。飛騨高山にある吉島家や日下部家と同じ構成なのですが、高山の民家に比べて梁や柱が細く貫も多く、より繊細な印象を与えており、明かり窓から降り注ぐ光を受けて、漆塗りの梁を美しく浮き立たせています。

 

 

 オエの奥は座敷部が並び、茶室や仏間も含めて喰違いの間取りの為に複雑な平面になっています。オエから三畳の間と仏間を抜けると上手最奥に座敷があり、この座敷に面して苔むした落着いた佇まいの庭園が広がります。この座敷は柱・長押とも面皮の付いた数寄屋風の造りで、軒先に簾を垂らした付書院もある雅な趣となり、京文化の影響の強い金沢らしい意匠です。
 庭先の縁庇は磨丸太と角材を交互に配する北陸らしい深い造りで、縁下も蝋色塗りの漆をかけたもの。晴天の日でも屋内に取り込む陽光は庇や土壁などで程好い暗さに逓減され、京風の意匠とあいまってどこか幽玄な趣さえ漂わせています。

 

 

 

 当家は酒造業でしたから当然稼業方面の設備もあるのですが、箱階段や金庫の間も非常に繊細な造りで、この建物全体の優美性を損なうものではありません。
 他では座敷の隣に仏間があり、オエの北側に丸窓を開けた水屋と、その奥に4畳半の茶室があります。この茶室と二階部は移築の際の改造部で、当初からのものではありません。

 

  



 「喜多記念館」
   〒921-8815 石川県石川郡野々市町本町3-8-11
   電話番号 076-248-1131
   開館時間 AM9:00〜PM5:00
   休館日 無休