喜多院 (きたいん) 重要文化財



 最近は”小江戸”と呼ばれるようになり沢山の観光客が訪れる町に変身した川越ですが、ちょいと前までは野暮ったくて中途半端に田舎な、ドン臭い郊外の町の一つでした。いわゆる16号線沿いによくあるヤンキータウンで、町田・八王子・大宮・春日部・柏等と同様に、矢沢永吉のロゴが入った白いクレスタ・レパード・チェイサーあたりのシャコタンタケヤリ仕様の族車がブイブイ云わて、夜になるとよく桜田門のオジサンたちと追いかけっこをしていたものです。高度経済成長期に郊外の農地がベッドタウン化して土地が高騰し、大金を得た農民の倅達が何故ヤンキー方面に流れるのかはわかりませんが、80年代あたりまでの16号線沿いの各都市は結構デンジャラスなムードがあったものでした。ところがバブルが弾けて以降、現実逃避かノスタルジック路線が大流行となり、レトロな街並が残っていた川越が注目を集め始め、特に団塊の世代が暇をもてあましているのかここ数年中高年が大挙して来訪し、今や土日になると観光客が芋洗い状態になっている始末です。
 ”小江戸”といってもメインストリートに蔵造りの建物が並ぶ所ぐらいで、あとは普通の地方都市です。それに蔵が江戸を連想させる言葉でもなく、喜多方・栃木・高岡・倉敷など蔵造りの街並はけっこうあるので、何故川越が小江戸なのかは不明です。ただ”江戸”というキーワードは以外にも蔵ではなく、市中央に位置する古刹喜多院にあり、実はここの建物群は江戸城にあったものを移築して造られた、正真正銘の江戸の名残を示すもので、今は無き江戸城の姿を知るうえでも貴重な建物群です。

 

 喜多院は開基が平安時代にまで遡る天台宗の寺院で、修行寺としてスタートしました。その後徳川家の加護を受けて発展し、1638年(寛永15年)の大火で山門を残して堂宇を焼失した後も、家光の命により江戸城の紅葉山御殿を移築して伽藍を形成したのが今の姿。広い境内に本堂・多宝塔・書院・客殿といった諸堂以外にも、東照宮や日枝神社も置かれる程のスケールを誇っており、このうち江戸城から移築した建物は庫裏・客殿・書院で、いずれも国の重要文化財の指定を受けています。庫裏は栩葺(とちぶき)形銅板葺きの一部入母屋と寄棟造りの外観で、玄関・広間・食堂で構成された建物。入り口の広い土間に続いて24畳の板の間が広がり、その奥で各棟と連結する十字路のような構成で、将軍の屋敷だったせいか木割が太くがっしりとした力強い印象を受ける建物です。

 

 庫裏から西へ繋がるのが客殿。外観は裄行8間奥行5間の入母屋作りで屋根は柿葺き。ここは「家光の誕生の間」が移築されていて、特に格子天井には81枚の花図が極彩色で描かれた格式の高い内装(内部撮影禁止)。一畳半の床や違い棚、それに山水画が描かれた襖絵などグレードの高い意匠で、気分はすっかり将軍様です。
 江戸城の紅葉山にあった建物に合わせて、外も紅葉山に似せた庭園が造られています。名前の由来どおりに秋の紅葉の時期はことのほか美しく、参拝も賑わいを見せるようです。

 

 

 庫裏から北へ繋がるのが書院。外観は裄行6間奥行き5間の寄棟造りで、屋根は柿葺き。こちらは「春日局の化粧の間」と呼ばれ、12畳2間+8畳2間の構成で一部中二階が隠し部屋であります。客殿の格式の高い内装に比べると女性向けの部屋だったせいか瀟洒で落着いた空間で、春日局が休息を取る為のプライベートスペースだった模様です(ここも内部撮影禁止)。外は「曲水の庭」と命名された遠州流の枯山水の庭園が広がり、こちらも紅葉の時期には見事な景観を見せてくれます。

 

 

 庫裏から南へ繋がるのが本堂である慈恵堂なのですが、ここは渡り廊下が伸ばされていて、中央部が太鼓橋のように膨らんでいることと、腰掛が付いていることから、参拝客は皆ここで風に吹かれながら庭園を眺めて休んでいたりします。
 その慈恵堂は裄行9間奥行6間の巨大な仏堂で、寛永期の大火後にいち早く再建された建物。密教寺院らしく内部は内陣と外陣に分かれ、両脇に脇陣と経蔵もあります。天井には様々な家紋が所狭しと描かれていて、これは明治以後に徳川家の加護が無くなり荒れ放題になっていたこの寺を、再興させる為に多額の金額を寄進してくれた檀家の紋章を入れたことによるもの。県の有形文化財指定。

 

 

 庫裏の隣にある多宝塔は元々別の場所にあったものを今の位置に移築したもので、その当時は既に上層が欠けており、古書にもとづいて復元されたもの。外観は総高13m方三間で屋根は本瓦葺き。慈恵堂同様に大火後すぐに竣工された塔で、丹塗りが映えたバランスの取れたプロポーションの美しい多宝塔です。県の有形文化財指定。

 

 境内の南側に古墳があり、その古墳の上に慈眼堂と呼ぶ小さな仏堂があります。慈眼とは喜多院中興の祖だった天海をさし、その天海没後に家光が作らせた仏堂で、中に天海を模した木像が祀られてあります。頭に宝珠がのり、桟や木鼻などに禅宗様式が入り混じったユニークなスタイルの仏堂で、国の重要文化財指定。

 

 

 山門はこの寺院で唯一寛永の大火前から残る境内最古の建物で、1632年(寛永9年)の建造。4本の柱の上に屋根が乗る四脚門で屋根は切妻の本瓦葺き。番所が付属していて、寺院の正面に付随するのは珍しい例。山門は国の重要文化財指定、番所は県の有形文化財指定。
 山門とは別に鐘楼門があり、こちらは二階建ての袴腰付きの門で、正面と背面にそれぞれ龍と鷹の彫刻が施してあります。これも国の重要文化財指定。かようにこの寺院は文化財が豊富で、峻厳な印象を持つかと言うとそうでもなく、そこは同じ密教でも天台のせいかウェルカムの方針のようで、境内は自由ですし川越名物の団子屋も営業し(中々美味い)、さらには地酒「春日局」も販売しておでんで一杯を楽しむ人も見られる、極々庶民的な寺です。

 

 



 「喜多院」
   〒350-0036 埼玉県川越市小仙波町1-20-1
   電話番号 049-222-0859
   拝観時間 3/1〜11/23 平日AM8:50〜PM4:30 日・祝日AM8:50〜PM4:50
         11/24〜2/28 平日AM8:50〜PM4:00 日・祝日AM8:50〜PM4:20
   拝観休止日 12月25日〜1月8日、2月2日〜4日、4月2日〜6日、8月16日