岸邸 (きしてい) 厚木市指定文化財
厚木市内から国道412号線で相模湖方面へ向かう時に、丹沢・大山山系の裾野をかすめるあたりに荻野という静かな集落があります。高度経済成長期に宅地造成された典型的な東京近郊の里山だった場所なのですが、実は江戸期には小さいながらも城郭が築かれ、明治期には神奈川県下における自由民権運動の中心でもあった場所でした。当時は相模地区でも繁栄を見せた土地らしく、厚木から津久井へ抜ける津久井道と、八王子から小田原へ向かう小田原道とが交差することから交通・流通の要所となり、近辺では養蚕農家も多かったことから特に明治期には活況を見せていたようで、今でも旧道沿いに趣のある閑静な旧家が点在しています。
「久保」バス停近くにある岸邸もその旧家の一つで、現在は厚木市に寄贈されて無料で公開されています。
この岸邸は代々地主だった岸家から1998年(平成10年)3月に寄贈されたもので、広さ520坪の敷地に二階建ての主屋と3棟の土蔵を並べ、南側には薬医門を配して格式の高さを示しています。
門奥に建つ重厚な外観の主屋は1891年(明治24年)に建造されたもので、屋根が寄棟造りの桟瓦葺。一階の正面中央に式台状の玄関があり、瓦葺の破風屋根をのせていますが他の一階部は銅板葺で、南面と西面は一階・二階ともに全面ガラス張りです。いわゆる近代和風建築の一つで、市の有形文化財に指定されています。
内部は一階が東側に土間が走り、その西側に6部屋が整然と並ぶ、農家建築によく見られる六間取りの構成なのですが、まずこの土間が一般の農家に比べて狭く造られ、またガラス戸によって奥の台所部と分断されることから、純粋に家人用の玄関として機能させているようです。どちらかというと町家に近い構成。
部屋も当初は6部屋だったものに、明治末期から昭和初期にかけて何度か増改築があったようで、背面に6畳間を二つと浴室・洗面所・便所等を追加しているため、間取りはやや複雑。二階と合わせて15部屋あります。
一階の土間寄り南側の部屋は15畳の広間で、家人の居間として機能していた部屋。天井は農家の名残か高く造られており、また格子天井となっていて、太い柱と差鴨居を嵌めて広い空間を支えます。家人用の空間か装飾性は薄く、質実剛健といった空間ですが、採用されている素材は素晴らしく、土間境にはクスノキの一枚板が嵌められています。
この居間の西側に式台状の玄関が続き、そこから矩折りで接客空間の座敷が並びます。ここは居間と一転して装飾性が強くなり、差鴨居に変わって長押が嵌められ、柱や縁側には漆が塗られ、欄間には精巧な透かし彫りが施されています。
奥座敷は付書院も備えた書院造の部屋ですが、床柱には大蛇のような極太の絞り丸太を採用。凝った意匠はこの奥の客用便所にも見られ、電灯の飾りには鶴のデザインが。
この奥座敷の東側は階段室で、吹き抜けで手摺付きの階段が上へ続きます。元々仏間だった部屋を改造したようで、この手摺にも色々と透かし彫りが。
二階は12.5畳の座敷が横一列に並んでおり、その南と西側を廊下が走る構成。一階に比べると天井は低くなりますが、その天井板には幅3尺の神代杉を張るなど、素材には上質の物が採用されています。天井が低いのは養蚕農家だった名残とか。欄間にも精緻な透かしが見られます。
何といってもこの二階で目を引くのは廊下に嵌められたガラス窓の模様で、独特の幾何学的な紋様が不思議な感覚を室内に沸き立たせています。明治期の洋風建築の影響があるのかもしれません。この二階部のガラスがこの建物の一番の見所。
一番西側の座敷は違い棚に付書院を備えた正統的な書院造の部屋で、その付書院の欄間には立体的な彫刻が両面から彫られています。どちらもストーリー性のある題材で、中々見応えのある作品。
この欄間のある向こう側は西側の廊下が走りますが、ここの窓は何故か市松模様に赤いガラスが嵌めこまれており、妖しくも幻想的な趣が漂います。この空間を造った当主はモダンでハイカラな方だったのでしょうね。
この廊下を北に進むと増築された洋間になります。10畳弱ほどの広さで、白漆喰の天井と壁による比較的シンプルな部屋。当主の書斎だった模様。この奥に当時としては珍しい水洗トイレもあります。
主屋の座敷周りには、池や築山に石橋・石灯籠も配された庭園が広がります。無料で内部公開されているので、座敷で庭でも眺めながら静か午後をボッーと過ごすのにうってつけ。
「古民家岸邸」
〒243-0201 神奈川県厚木市上荻野792-2
電話番号 046-291-0201
開館時間 4月〜9月 AM9:00〜PM6:00
10月〜3月 AM9:00〜PM5:00
休館日 12月29日〜1月3日