吉備津神社 (きびつじんじゃ) 国宝



 岡山市の北北西15Km程の場所に鬼城山と呼ばれる海抜400mの擂鉢状の山があり、この山頂に「鬼ノ城」という遺跡が残されています。この周辺はまだ大和朝廷が全国制覇を成し遂げる以前に吉備という古代国家があった場所で、出雲と並んで大和と対立していた地域。長船で知られるように岡山は刀の精製が優れており、出雲のたたら製鉄と同様に軍事力の勝る吉備は大和にとって難敵だったのでしょう。この「鬼ノ城」は古代に築かれた山城で、南東側に岡山平野を望み遠く瀬戸内も眺められる軍事上としても好条件の立地。岡山名物桃太郎伝説ではここに温羅(うら)と呼ばれる鬼が棲み、朝廷から派遣された吉備津彦命(桃太郎のモデル)が退治するというエピソードがあったりします。
 その吉備津彦命が、戦の陣営として選んだのが吉備津神社のある地点。ここはちょうど広い平原を挟んで「鬼ノ城」と向き合う山の中腹にあたっており、この間の平地には「血吸川」「矢喰宮」「鯉喰神社」というおどろおどろしい地名が点在しているので、日本の黎明期には血なまぐさい戦役が行われたのかもしれません。
 ところでこの吉備津神社は松並木による参道が延々と北へ続くのですが、あんまりにも長いせいか途中でJR吉備線の踏切が横切っていたりします。

 

 吉備津神社は吉備津彦命を祀った備中一宮で、創建は明確ではありませんが相当に古く、「続日本記」(8世紀後半)にもその記述が見られます。境内は「鬼ノ城」を見やりながら山の北西側に沿って建物群が配置されており、その陣容はまるで山城のよう。ちなみに吉備津彦命の墓稜がこの神社の南方500m程の山中にあり、今でも宮内庁が管理中。
 境内を北側の参道から入り石段を進むと現れるのが北随神門。1362年(康安2年)に建造された三間一戸の八脚門で、国の重要文化財指定。ちなみに南側にもほぼ同時期に建造された南随神門があり、南北で随神門があるのは珍しいとか。

 

 この北随神門を潜り急な石段を登りつめると、国宝の社殿の正面に出ます。本殿と拝殿が接続して一体化した建物で、特に本殿はその外観も含めて特異な社殿としてして知られており、なんといってもその規模の雄大さに圧倒されます。
 大きさは本殿の桁行が正面5間に背面7間で奥行8間の平面ですが、正面と背面では拝殿の接続から柱の数が異なるだけで同じ幅になります。正確には桁行14.7m奥行18mとなり、面積では258..84㎡(121坪)と京都の八坂神社に次ぐ規模の大きさで、国宝の社殿では最大のものとなります。
 屋根は檜皮葺ですがこれだけ大きな建物を覆う為にか入母屋を並べたような形状をとっており、”比翼入母屋造”と呼ぶ独特の手法で”吉備津造”とも呼ばれています。ここ以外では千葉の市川にある法華経寺祖師堂で見られるぐらい。
 高い亀腹基壇の上に建ち、崖縁の北西にあるせいか眼下に広がる平原を見渡せ、さらに屋根の軒先が勢いよく切れ上がることもあってか馬鹿デカイわりには浮遊感さえもあります。神社というよりはさながら山城の城館か天守のような印象。

 

 

 建造されたのは室町初期の1425年(応永32年)で、足利義満の寄進によるもの。以前に建てられてあった鎌倉初期のものは南北朝期の1351年(観応2年)に焼失しており、先に南北の随神門を整備してから再建されたようです。
 その先代の社殿の建造には東大寺勧進役の重源上人が関わっており、規模の大きな建造物に適した大仏様を大陸から導入した人物が関係していることから、このような神社建築としては破天荒なスケールの大きな社殿が出来上がったのかもしれません。再建されたこの本殿にも深い庇を支える為に、軒下の斗栱に独特な大仏様の技法が採用されています。

 

 本殿の北側に接続する拝殿は、桁行3間奥行1間の平面に屋根が切妻造りの檜皮葺で、本殿の屋根に合わせるように丈を高く上げて、三方に本瓦葺の裳階を取り回してあります。ここでも本殿同様に、大仏様の技法が採用されています。
 拝殿の内部は壁や天井板を張らない吹き放しの構造で、巨木を巧みに組み合わせた豪壮な架構を見せており、軒下の連子窓から射し込む外光が構造体を美しく浮き立たせています。天井が高いせいもあってか拍手の残響音も高らかな荘厳な空間。
 階段を登った向こうに見えるのが本殿の内部で、夥しい数の円柱が林立し全体が朱に塗り込められた特異な空間が広がるのですが、残念ながら非公開。

 

 

 拝殿の西側から矩折りに回廊が南へ進み、南随神門(国重文)を潜って延々と400mも山裾を走っており、さながらその姿は万里の長城のごとく。東側には無く西側だけあるので、やはり「鬼ノ城」に対峙する為の施設なのでしょうか。現在のものは江戸後期の寛政から文化年間にかけて再建されたもので、県指定の文化財です。
 回廊の行きつく先は御釜殿。温羅の首を刎ねた後にここに埋めたそうで、ここで釜を焚くと温羅が唸って吉凶を占うという鳴釜神事が今でも行われているようです。現在の建物は1617年(慶長17年)に再建されたもので、永年の神事により内部は黒く煤けています。国の重要文化財指定。

  

 



 「吉備津神社」
   〒701-1341 岡山県岡山市北区吉備津931
   電話番号 086-287-4111
   拝観時間 AM6:00~PM6:00