慶雲館 (けいうんかん) 名勝



 長浜の冬の風物詩として知られる盆梅展、その会場となるのが慶雲館で、地元の実業家だった浅見又蔵の別邸だった建物です。戦前に数多く建てられた近代和風建築の一つで、竣工が1887年(明治20年)2月のこと。外観は屋根が寄棟造りの桟瓦葺で、尾州産の総檜造りによる木造二階建ての大型住宅建築です。以前は盆梅展の開催時以外は中に入れませんでしたが、今は通年で公開されています。

 

 

 当初から別邸として建造されたものではなく、なんでも明治天皇行幸に合わせて突貫工事で造らせたもので、VIP向けの迎賓施設として建てられたものです。ということでこの時期に多い凝りに凝った数寄屋風の設えでは全く無く、大広間が主体の格式高い書院造りの部屋が並んでおり、二階には一段高くなった玉座の間もあって、長押には菊の御門入りの釘隠しもあるとてもグレードの高い接客空間が広がります。このようにだだっ広い大広間ばかりなので、盆梅展を開くには好都合なのでしょう。
 行幸後も迎賓館として使われており、1935年(昭和10年)に国史跡指定に伴って市に寄贈されましたが、戦後になって史跡からは除外されています。まあ当時はナショナリズムが高まっていた時期ですからね、天皇主権から国民主権へと変わった戦後の現憲法下では当然の措置なのでしょう。

 

  

 往時のこの慶雲館の最大のウリはその眺望の素晴らしさだったらしく、敷地の南側と西側は琵琶湖の湖岸だったことから、二階からは琵琶湖や伊吹山の風景が一望できるパノラマビューが広がっていたようなのですが、今は周辺は埋め立てられマンション等も建って何も見えません。ちなみに慶雲館の名は眺望の良さから伊藤博文が命名したもの。
 琵琶湖の風景は望めなくなりましたけれど、それでも庭園は綺麗に整備されており、これは開館二十五周年を記念して1922年(明治45年)に二代目の当主が造らせたもの。作庭を植治こと七代目小川治兵衛が担当しているとかで、国の名勝にも指定されています。

 

 植治には珍しく枯山水の形式で、中央に涸池を穿ち奥に築山を盛って芝地とし、その周囲に巨岩を点在させた構成。特に喬木の木立を背景としてその手前に流水を回す遠近法を重視したスタイルは、同じ植治の無鄰庵や野村碧雲荘などと似た手法で、とても伸びやかで開放的な明るい空間となっています。息子の白楊が作庭に関わっている説もあり、碧雲荘は白楊が主体の作品ですから白楊の作風が反映されているのかもしれませんね。涸池は琵琶湖を模しているのでしょうか?

 

  

 巨岩は琵琶湖の対岸の志賀町から船で運び入れたものだそうで、花崗岩の多い比良山系のゴツゴツした重量感溢れる石が数多く置かれて風景を支えます。石燈籠も大きいものを中心に数多く配されています。

  

 庭の片隅に茶室があります。「恵露庵」と名付けられた四畳半の小間で、この慶雲館開館当初からある茶室ですが、なんでも平成になってから大きく改造されて十畳の広間に変更されています。市の福利厚生施設として転用されていましたからね。

 



 「慶雲館」
  〒526-0067 滋賀県長浜市港町2-5
  電話番号 0749-62-0740
  開館時間 3月下旬〜12月上旬 AM9:30〜PM5:00 無休