川本邸 (かわもとてい)



 山崎の戦いで日和見を決めこんだ筒井順慶の居城が奈良の郡山城で、大和郡山はその城下町として発展した歴史を持つ町。奈良では城下町は珍しいそうで、たしかに門前町や寺内町の多い奈良では異色の存在ではあります。武家社会的な匂いはあまり奈良には似合いませんしね。順慶の後に統治した秀吉の弟である豊臣秀長が、箱本十三町と呼ばれる職業別の区割りを形成したとかで、城下にそれぞれ特徴のある街並みが構成されており、例えば染物業の紺屋町には中心部に水路が流れてその両脇に紺屋が並び、染め上げた布をこの水路に晒していたとか。他にも豆腐町・雑穀町・茶町・魚町・材木町・綿町など町の名の由来になった職業向けの街並みが見られたようで、今でも現存する町家では代々の商いや公開施設として活用されています。
 その箱屋十三町の寄合にはちょっと入れない色っぽい職業の街並みが紺屋町の南側にあり、今でも二階・三階建ての格子作りの町家が軒を並べて、中々乙な風情ある街並みが広がります。

 

 市内には幾つか寺院が点在しており、紺屋町の南側には浄土宗の洞泉寺という大きなお寺があるのですが、何故かこの周囲は江戸期より色街だった場所で、細い路地に繊細な細格子を並べた遊郭が建ち並んでいた一画でした。士気に支障が出たからか取り壊しの憂き目にも会い、大火も何度か罹災しましたが、世界最古の職業と呼ばれるほどの職種でしたのでその度に復活し、実際に1958年(昭和33年)の売春防止法発令まで営業が行われていたようです。
 その艶っぽい色街の中で最も目を引くのが木造三階建ての遊郭であった川本邸。表通り側全面に全て細格子が嵌められた優美かつ繊細なマスクが印象的な建物で、戦前の1924年(大正13年)に建てられています。

 

 営業時の名称は「又春廊(ゆうしゅんかく)」。因みに両サイドはお寺です。売春防止法による廃業後はアパートとして賃貸していたようですが、バブル崩壊後は無人ということもあって解体が決まったところ、市が貴重な建築物ということで取得し、現在NPOが修復管理しながらイベント事業等で活用しています。
 内部は正面玄関を入って通り土間が続き、土間の右手が管理人だった川本家の居室で、左側には池があって金魚が泳いでいたようです。(今は無い)
 土間の突きあたりは帳場で、帳場の先は中庭となり、井戸や棕櫚竹が配されたしっぽりとした京町家の風情。上から見るとロの字型の建物で、この中庭の周囲に各座敷が並びます。

 

 

 一階は中庭の奥に広い10畳の座敷があるだけで、奥に渡り廊下で茶室が連なります。座敷は長押も嵌められた格式の高い書院造りですが、床柱には面皮の癖の強い材木を嵌めているので、数寄屋風に崩した感じ。ここで遊女たちと酒池肉林の宴会でも開いていたのでしょう。この座敷の奥にまたもう一つ庭があり、その先に茶室があります。このあたりは京町家と同じ構成。

 

 この座敷の裏手に廊下が走り、沿うように洗面所や風呂場が並び、二階へ上がる階段もあります。この建物は遊郭にしては装飾性が薄く、とてもシンプルな意匠で大きめの町家のような雰囲気があるのですが、この廊下や洗面所には丸窓やハート型に刳り抜いた窓、それに凝った紋様の窓枠などが付いており、遊興施設としての意匠が見られる空間です。

  

 

 二階や三階は四畳半程度の小部屋が繭棚のように並びます。いずれも何の変哲もないうら寂しい部屋で、ここで夜な夜な遊女と客が営みを行っていたのでしょう。
 現在は雛祭りや夕涼み会などのイベント時以外は一般公開されておらず、6名以上の団体に限って予約制で公開されています。

  

 



 「川本邸」
   〒639-1144 奈良県大和郡山市洞泉寺町10
   電話番号 0743-53-1151 
   非公開