葛城古道 (かつらぎこどう)



 奈良盆地の東端に山裾をかすめて南北に走る「山の辺の道」という古い街道が走っていますが、盆地の反対側の西側にも同じように山裾を南北に走る「葛城古道」と呼ばれる古い道があります。おそらく奈良に都が合った頃には、畿内にこのような街道が縦横無尽に走っていたのでしょうが、時が経って中央部は国道や県道として今でも重要なルートとして使われていたり、逆に都市化の波に埋没して廃れていってしまい、端っこにあったルートがあまり時代の波を被らずにそのまま残ったということなのでしょう。長閑な田園風景の中をクネクネと進む呑気な道で、沿道は由緒正しい神社仏閣や大和棟の民家が点在しており、何よりも春にはレンゲやツツジ、秋には彼岸花が美しい花の道でもあります。

 

 北の起点は御所市内の六地蔵から始まり、南は同市内の風の森で終わる全13kmの行程で、北半分は比較的平坦なコースですが、後半はアップダウンの激しい結構キツメのコース。何しろこの一帯は高天原伝説もあるように下手するとトレッキングみたいな状態となるので、のんびりとダラダラとハイキングがてらに歩く場合には、北半分で切り上げるショートカットがお薦めでしょう。
 でその中間地点にあるのが名柄の集落。ここは古来交通の要衝だった地点で、吉野方面から水城峠を抜けて大阪へ向かう水城街道(国道309号線)との交差点となっており、江戸期には幕府領となって宿場町として栄えた場所でした。今でも往時を思わせる格子造りの町家や大和棟の民家が建ち並んでおり、中々風情ある町並みが見られます。特に中心部にある中村邸は江戸初期の寛永年間に建造された古民家で、国の重要文化財にも指定されています。

 

 

 この名柄から北へ進むルートを取ると、集落の外れに堂々とした鳥居が御目見え。これは近在の鎮守様でもある一言主神社で、祀られている”一言主”は古事記や日本書紀にも記述がある古い祭神です。杉並木の参道の途中には蜘蛛塚があり、日本書紀に登場する”土蜘蛛”に由来するものとか。

 

 

 この参道沿いは一面に棚田となっており、その畦道には秋になると彼岸花が一斉に咲き乱れて、黄金色に輝く稲穂と美しいコントラストを描きます。葛城古道は彼岸花の名所で知られていますが、この一言主神社近辺が一番の見所。

 

 

 この一言主神社は高台にあるので、ここから北へ向かうルートは山麓の眺望の良いコースと変わり、首を垂れる稲穂の向こうに遠く飛鳥の里も見渡せ、傍らには彼岸花の咲く美しい里山の中を進みます。

 

 やがて浄土宗の寺院である九品寺に到着します。行基が開基した謂れがありますが、南北朝期に焼き討ちに合ったようで、その際に奉納されたのか戦死者の供養なのか夥しい数の石仏が境内にあります。ちょっと謎。
 門を入ってすぐ左手に池泉回遊式の庭園があり、楓が多いので紅葉の時期がお薦めとか。

 

 

 このお寺のすぐ北側は今度は一面の秋桜の草原。ここも見晴らしが良い所で、遠く飛鳥野を望むなだらかな里山に、秋桜や彼岸花が咲き乱れます。
 近くの彼岸花畑の中に「番水の塔」と呼ばれる小さな時計塔があり、看板に掲げられた時刻になると当番が水門の方向を調整するそうです。このあたりはとても水はけが良すぎるそうで、万遍無く水が行き渡る為の取り決めだとか。

 

 

 棚田の水田の中を縫うように延々と道が続き、やがて北側の起点となる六地蔵に至ります。この一帯は傾斜地なので、大雨が降った後に大きな石が山から転がり出ることも多く、この大きな石も室町期に流失したもの。災害に因むものということもあってか、被災された村人の供養や仏教による救済を願って、石に六地蔵の姿を彫り込んだものです。ここから葛城古道を歩き始める時は、行程の安全を祈願して手を合わせていきましょう。
 この六地蔵から東へ御所市内の古い街並みを抜けていくと、20分程で近鉄の御所駅へ着きます。

 

 



 「一言主神社」
  〒639-2318 奈良県御所市森脇432
  電話番号 0745-66-0178
  境内自由

 「九品寺」
  〒639-2313 奈良県御所市楢原1188
  電話番号 0745-62-3346
  境内自由