歓喜院聖天堂 (かんきいんしょうてんどう) 国宝



 今は熊谷市に編入された旧妻沼町は、利根川沿いに広がる麦畑と湿地帯で構成される長閑な農村で、冬場になると北関東特有の強い北風が連日吹いてバカッ晴れが続き、埃っぽくて土臭く名産が葱といういかにもサイタマらしい風景が見られる所。川を渡ればもう群馬県で、赤城山も間近に見えます。
 その昔の江戸期には利根川の船運でも栄えましたが、町の中心部に三大聖天様の一つに数えられる歓喜院があることから門前町としての賑わいも見せていたようで、湊町としての複合的な街並みが形成されていました。ここでポイントとなるのは歓喜院が聖天様を祀る点で、いわゆる現世利益を願う多分に生臭い部分があり、例えば同じ三大聖天として挙げられる浅草待乳山や生駒宝山寺には風俗業が隣接している点を見ても、人間の業である様々な欲望を一手に呑み込む様な面があるのではないでしょうか?妻沼は女沼とも呼ばれており、その中心部に歓喜天があるという構成はとても淫靡な印象を与えます。
 その性格上から大衆的な面がとても強い寺院で、境内ではフリーマーケットや縁日がよく行われていますね。

 

 寺の歴史を紐解くと、源平期に平宗盛の家来だった斎藤別当実盛が、1179年(治承3年)に領地の鎮守として聖天宮を祀ったのが始まりで、1197年(建久8年)に本坊の歓喜院が開創されています。この当時は源平合戦の頃で、1180年から治承の乱が勃発し戦乱期に入り、当の実盛もほどなくして戦死するので、呪術的な面も持つ歓喜天にお縋りしたのでしょうか?
 境内は東を正面として貴惣門・中門・仁王門が一直線に並び、最奥に社殿が置かれる配置構成で、全て江戸初期以降に再建されたものです。一番手前にある貴惣門は3つある門の中でも最も大きく、幕末の1855年(安政2年)頃に完成した八脚門で、妻側に破風を三個重ねた特異な型式を持っています。また木鼻や虹梁などの構造部に様々な彫刻が施され、装飾性がとても豊か。彩色はありませんが、奥の社殿と共通する意匠が見られます。国重要文化財指定。

 

  

 参道を進み仁王門を潜って眼前に現れるのが、国宝に指定された社殿である御本殿。前の社殿が1670年(寛文10年)の妻沼の大火で延焼し、1735年(享保20年)から再建が始まり、25年後の1760年(宝暦10年)に竣工したもので、拝殿・相の間・奥殿から構成される権現造りの社殿です。江戸期になると大規模な神社建築はこの複合型の権現造りで建立されることが多く、また日光東照宮がこの権現造りの代表的な作品であることから、比較的近い北関東ではこのタイプが模写されて行きます。
 またこの社殿の再建には庶民たちの手で行われたことが大きく、幕府・大名・豪商といった富裕層の手を借りずに、各地を回って金を募り職人を集め、長い年月をかけて少しずつ造営されていった建物です。そういう意味ではスペインバルセロナのサグラダ・ファミリアにも似ているかも。歓喜天という特殊な本尊を持つ為に富裕層からの補助が望みにくいことが原因なのでしょうが、庶民の心意気の結晶でもあり、歓喜天のパワーにあやかりたいというエネルギッシュな部分もあったのでしょうね。時代からしても武家階級の衰退とそれに変わって町人文化が発展していく頃でしたし。

 

 正面の拝殿は、屋根が入母屋造りの銅板葺で、大きさが桁行五間奥行三間、正面に千鳥破風屋根の向拝を付けた外観です。この社殿の最大の特徴は装飾性の豊かさで、極彩色の細かな彫刻が長押より上部に夥しい数で施されており、龍・虎・獅子などの鳥獣や草花が多数見られます。柱や梁には焦茶漆が塗られ、軒裏は黒漆に赤漆と黄漆が使われ、極彩色の彫刻群とコントラストをつけています。

 

  

 

 この拝殿の背面に続く相の間を挟んで奥殿が続きますが、こちらはさらに装飾性が過剰になり、壁面全てが彫刻で埋め尽くされます。屋根が入母屋造りの銅板葺で、大きさが桁行三間奥行三間と拝殿に比べてやや小ぶりとなり、両側面と背面に軒唐破風を付け、さらに背面には千鳥破風が乗ります。
 拝殿同様に軒裏には黒漆をベースに赤漆と黄漆が使われたコントラストの強いもの。

 

 展開する彫刻にはそれぞれ固有のテーマがあるようで、「三聖吸酸」「司馬温公の瓶割り」「七福神と唐子遊び」等の中国の故事成語に纏わる題材が多く、絵画的な羽目彫刻によって羽子板の様に立体的に浮かび上がらせています。綱引きをしたり凧揚げをしたり相撲を取ったりと、登場人物が嬉々として遊戯に興じる場面が多く、盆と正月が一緒に来た様な喧躁さが感じられます。過剰なまでのエネルギッシュさは、庶民階層における祭との関連性が覗え、この歓喜院聖天堂が庶民の娯楽的な施設、近世のテーマパークとして機能していたことの現れなのでしょう。さしずめ江戸期のTDLということでしょうか。

 

 

 

  

 構造体自体にも彫刻が埋め尽くされ、組物の蟇股には花鳥や風神雷神が、尾垂木尻や木鼻には獅子・龍・象・鳳凰の霊獣で組まれるなどもはや構造体には見えず、ちょっとした隙があれば彫刻をどんどん入れてしまう状態です。建造物というよりは馬鹿でかい彫刻品みたいな建物で、国宝に決まったのもそれが理由のようです。

 

 



 「妻沼聖天山歓喜院」
  〒360-0201 埼玉県熊谷市妻沼1627
  電話番号 048-588-1644
  本殿拝観時間 AM10:00〜PM4:30 無休