普門院観月庵 (ふもんいんかんげつあん) 松江市指定文化財



 山陰の古都松江は水の都でもあり、宍道湖と中海との間を結ぶように,、大橋川を中心に幾筋もの河川が市中を流れます。松江城の内堀や城下町の堀川を小船で巡る遊覧船が人気ですが、その乗船ルートの途中で米子川と北田川が合流する手前の米子川に普門院橋という橋があります。その名の通り普門院というお寺の門前に架けられた小さな橋ですが、その昔は”小豆磨橋”と呼ばれていたそうで、なんでも夜な夜な女の幽霊がここに出没し橋のたもとで小豆を洗っていたとの逸話が。小泉八雲の随筆「神々の国の首都」に登場する怪談のエピソードですが、全国に残る小豆洗い爺さんの伝説とは少しテイストが異なるようで、モデル系美女の妖怪が登場する背筋が凍るようなとても怖い怪談です。
 で、この普門院は米子川と北田川に挟まれた街中の小さな寺院で、茶道の盛んな松江らしく松平不昧公ゆかりのお茶室があったりします。八雲も度々ここを訪れてお茶の手ほどきを受けていたとか。そうそう、山門には幽霊の足跡もあるそうですよ。

 

 普門院は天台宗の寺院で、約400年前に松江城が築城され城下町が形成された際に開創しています。茶室が造られたのは不昧公が松江藩主だった1801年(享和元年)のことで、不昧公が最初に師範した三斎(細川忠興)流宗匠の荒川一掌好みによるもの。書院の北側に池があり、その池の畔に茶室「観月庵」があります。本堂の裏手に待合もあり、茶室周辺までが外露地となっていますが、あまり整備されているとは言えず、当初もこのような形態だったのかは不明。

 

 外観は屋根が入母屋造りの茅葺で、妻側と東側の北半分の軒下に柿葺の庇が取り付きます。南側の妻側は建仁寺垣に囲われて内露地となっており、石燈籠と袈裟形手水が置かれ、飛石により連子窓の下に開けられた躙口へ誘われます。この茅葺入母屋造りの妻入りで躙口を設けるのは、不昧公好みの茶室である「菅田庵」や「明々庵」に共通するスタイル。庇がとても深いので躙口付近が適度に陰影を見せており、内露地をより劇的に演出しています。この内露地は不昧公もお気に召していたようで、度々訪れて賞賛していたとか。

 

  

 内部は躙口のある南側に二畳の小間と、続いて北側に四畳半の座敷が並ぶ構成で、この妻入りに小間と広間が奥に続いて並ぶ構成も「菅田庵」や「明々庵」と同じ。小間は二畳隅炉で、躙口上に連子窓と炉の先に風炉先窓が開き、西側に踏込床が付きます。床柱は竹で、天井は竿縁。
 この茶室でなんと言っても一番の特徴は東側に開けられた大きな丸窓で、席の命名の由来となった観月用のもの。また暗い茶室から見るとこの窓自体が満月にも見えます。江戸中期ともなると戦国期の切った張ったの時代ではありませんから、大名茶人といえどもこんな風流な茶室を好んだのでしょうかね。

  

 奥の四畳半は東側が貴人口となってフルオープンで庭が眺められます。池に映る月の姿を愛でていたのでしょう。北側の壁には水屋棚があるので、小間の水屋としても機能させていたようですね。待合と共に露地も含めて松江市指定文化財。

 



 「普門院」
  〒690-0883 島根県松江市北田町27
  電話番号 0852-21-1095
  拝観時間 AM10:00〜PM4:00
  拝観休止日 火曜日