金丸座 (かなまるざ) 重要文化財



 金毘羅(こんぴら)様で知られる金刀比羅宮の一番の名物と言えば、総計785段にも及ぶ長い石段。参拝を終えて戻る頃には膝が笑って危うく段を踏み外しそうになったりしますが(石段は下りの方が怖い)、江戸期の庶民に広がった民間信仰は娯楽性が重要なポイントなので、この石段もその舞台装置としての役割もあったのでしょう。登り終えた後に広がる讃岐平野の眺望は素晴らしく、石段の途中に次々と現れる鬱蒼とした森の中に築きあげられた壮麗な社殿や書院といった建築群も見応えがありますし、何よりも土産物屋やうどん屋や饅頭屋を冷やかしてタラタラ進むのも悪くないものです。
 当然のように門前町には娯楽施設が色々と出来たようで、特に3・6・10月には毎年例大祭が行われることから市も開かれており、芝居や繰人形用の見世物小屋がその度に社領地に仮設で造られていたようです。
 当初はそれでもまかなえたのでしょうが、時代が進んで江戸後期の19世紀ともなると武家階級は弱体化し、かわってブルジョワジーの台頭に見られるように町民階級が力を持ち始めたこともあって、常打ちの芝居小屋が必要ということになり、石段前の参道の小松町界隈に本格的な劇場が誕生したというわけです。
 今は参道から少し離れた山裾の高台に移築されて公開中。

 

 旧金毘羅大芝居が正式名称のこの芝居小屋は、1865年(天保6年)に完成した現存するものとしては日本最古の劇場建築で、劇場名は「金丸座」。国の重要文化財指定。
 大坂にあった道頓堀三芝居の一つである大西芝居(後の浪花座)を模して造った歌舞伎用の芝居小屋で、その縁から古くから上方の歌舞伎俳優が度々この舞台に上がっており、今でも毎春にやはり上方の俳優が中心となって「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が上演されています。
 外観は屋根が正面を切妻造で背面を舞台寄棟造の桟瓦葺、木造二階建てで建築面積は850u。
 劇場の周囲を山裾の道が取り巻いており、建物の側面における採光用の窓の構成や、背面の楽屋等による複雑な構成がよく判ります。

 

 正面には妻側の軒下に櫓があり、ここで上演前に合図として太鼓が打たれていたようです。現在はテープで放送中。その下には狭い木戸口があり、中に入るとチケットカウンターの札場と下足場があります。このあたりがエントランスホール部分で、口を脱いで客席へ向かいます。

  

 その客席は、一階が平場の桝席が並び、その両側の東西に二階建ての桟敷席が付く構成で、劇場内の大空間を作り出す為に天井部に大梁を渡し、平場と桟敷席との境に太い柱を林立させて支えます。
 天井板は張らずに屋根裏を見せていて、その屋根の下をぶどう棚天井と呼ばれる竹で編んだ格天井となっており、花吹雪を散らせる仕掛けも付いています。
 桟敷席の背後には採光用の窓があり、公演内容によって開閉や幕を使って微妙に光量を変えることが出来るので、電気の無かった時代の舞台装置として重要だったようです。

 

 

 舞台の中心部には直径7.3mの廻り舞台があり、下の奈落で太い八角形の心柱で重みを受けて、その周囲の24個の回転ゴマが支える構成で、心柱を中心に回転ゴマをコロコロ転がして回します。
 中心部近くにはスライド式で上下するセリもあります。

 

 舞台袖には上手に義太夫の座る「チョボ床」が、下手には三味線や笛などの囃方が入る「囃場」があり、舞台前には客席に向かって下手側に花道、上手側に仮花道が伸ばされています。花道は幅が1.3mあり、客席背部の鳥屋へと通じ、鳥屋で地下の奈落と階段で行き来できる仕組み。この花道にも色々と仕掛けがあり、中途に「すっぽん」と呼ばれる昇降装置があって、やはり奈落からせり上がることが可能。

  

 また花道の舞台との付け根に半間四方の「空井戸」と呼ばれる昇降装置もあり、これも「すっぽん」同様にせり上がったり早替わりに利用します。
 歌舞伎という庶民に広まった大衆芸能において、何よりもその舞台効果に重きを置く傾向があり、観客を魅了する為の様々なアイデアを駆使して、豊かな劇場空間が構築されています。

 

 舞台の背後にはキャスト・スタッフ達の大小様々な楽屋が並びます。お風呂もちゃんとあります。奈落も見学でき、色々と仕掛けの裏側がわかりやすく公開されています。

 



 「旧金毘羅大芝居」
   〒766-0001 香川県仲多度郡琴平町乙1241
   電話番号 0877-73-3846
   開館時間 AM9:00〜PM5:00
   休館日 年中無休