亀岡家住宅 (かめおかけじゅうたく) 重要文化財



 福島駅構内で福島交通飯坂線とホームを共用している第三セクター阿武隈急行に乗車し、桃や林檎に梨と柿の果樹園が延々と続く沿線をのんびりと進むと(各駅停車しかない)、およそ20分程度で「大泉駅」という片面ホームの無人駅に到着します。今は伊達市に併合された旧保原町の庁舎に近かった駅で、市誕生後もそのまま伊達市の市役所が置かれており、周囲は田圃の中に公共施設が点在する田舎の官庁街。その田圃が広がる駅前から歩いて5分程に保原総合公園という複合型レクリエーション施設があり、まあよくあるスポーツ施設に博物館がセットになった公共施設なのですが、ここにちょっと風変わりな洋館が移築され公開されています。旧亀岡家住宅という明治期に建造された和洋折衷の住宅建築で、国の重要文化財にも指定されています。

 

 阿武隈急行沿線は果実の生産地であると共に養蚕が盛んだった場所で、この洋館を建てた施主の亀岡正元氏も養種(蚕の卵)を製造し全国に販売を行って利益を上げた豪農兼豪商だった人物。近在の旧伊達崎村に主屋・長屋棟・紡績工場・養蚕室・馬屋・土蔵などが建ち並ぶ豪邸を構えていましたが、このうち主屋が1985年(昭和六十年)に子孫から旧保原町へと寄贈があり、1995年(平成七年)三月に当地へ移築復元されています。



 その主屋は1904年(明治三十七年)頃に建造されたもので、木造二階建ての客間棟と木造平屋建ての居間棟の二つが一体化した構造です。設計は福島県技手だった江川三郎八が関わっているそうで、施工には地元大工の小笠原国太郎が担当。江川三郎八は地元福島出身の建築家で、特に明治期の学校建築で知られており、いわゆる江川式と呼ばれる和洋折衷の大型洋風建築を得意としています。この亀岡家でもその特徴が幾つか反映されており、客間棟は中央にバルコニーを持つ左右対称の洋風の外観ですが、屋根は和瓦の桟瓦葺による寄棟造りで伝統的な日本建築の工法が取られており、またその上に乗るランタンはどこか五輪塔か宝篋印塔を思わせるフォルムで、宮大工の修行もした三郎八らしい意匠といえるのかもしれません。

 

 

 外壁は下見板に腰板としてチャコールグレーの銅板を貼り付けて煉瓦積みに見せており、また窓上にはクロス飾りを付け、一二階の間にコーニス(胴蛇腹)を取り回したまさしく洋風の意匠。いわゆる擬洋風建築ですが、近所の桑折町に1883年(明治十六年)建造の旧伊達郡役所(国重文)が残されており、こちらも擬洋風建築なので参考にしたのかもしれませんね。また郡山にある1889年(明治二十二年)建造の旧福島県尋常中学校本館(国重文)にも似ています。

 

 外観での最大の特徴である正面部の八角バルコニーは玄関でもあり、アーチを描く梁と扉で客を迎ええ入れます。この扉はよく見るとハンマーの形をしており西洋文化の影響が伺えますが、上を見ると折上格天井とまるで寺社建築のようで、ここらあたりも和洋折衷の不思議な空間です。この玄関は接客用で、隣には小さな脇玄関が開けられています。因みにガラス窓は手すきで、窓枠に埋れ木が使われています。

 

  

 内部は客間棟や居間棟の一・二階ともに純和風の座敷が並ぶ空間で、間取りも田の字や六間取りをベースとする民家建築のものです。外観は洋風でも中身は全くの和風建築で、明治初期に建造された奈良生駒山の宝山寺獅子閣と似た様相ですね。特に外部を廊下が取り巻くことが異色で、行き止まりのない構造となっており、天井もそれに合わせて棹縁を円弧状に曲げる拘り。なんだかんだ言って東北の寒冷地ですから防寒用に二重構造にしてあるわけですが、どの部屋にも直接廊下から出入り可能なので、使用人の多かった家でしたからその点でも有効だったのでしょう。

 

 

  

 そんな純和風の座敷が整然と並ぶ一角に、唯一の洋間が玄関横に並ぶ主人書斎。当主は県議も務めた人物でしたから応接間としても使われたようで、支持者の陳情とかも受けていたのかもしれませんね。十二畳分の広さの板の間で、日当たりの良い東南隅にあることと、高く開口された窓が連なるおかげで採光の良い空間です。天井は中央折上傘板張とちょっと凝った造りとなっており、京都高台寺の茶室傘亭と似たような趣向。



 座敷はいずれも十畳以上の広間だけで構成されていますが、中央廊下を挟んで意匠に差異を生じさせているようで、中央廊下の西側はフォーマルな空間、東側はプライベートとは言えないまでもアンフォーマルな空間として分けられています。まず西側の座敷は一・二階共に十五畳の書院造と次の間が並ぶ計三十畳の大広間となり、秋田杉の折り上げ格天井に紫檀・鉄刀木・黒柿等の銘木で構成された床の間が見られる格調高い接待空間です。特に一階の正座敷は”杉の間”と呼ばれるように秋田杉が随所に散りばめられていてとてもゴージャス。また脇座敷の床柱には阿武隈川の河床に埋もれていた埋もれ木が嵌められており、独特の形状と風合いが魅力的です。

 

  

 端正な書院造の大広間が並ぶ西側に対して、中央廊下を挟む東側は一階だけはシンプルな家族の居間になりますが、二階は軽快な数寄屋風に崩した十畳間が並ぶ構成で、特に東座敷は栗の床板や鶉杢の模様が入った黒柿の柱が使われ、さらに鼓張による花梨の床柱に重ね菱の二重棹縁床天井も見られるなどとても手の込んだ造り。趣味性の強い意匠で構成された座敷で、当主の私室としても使われたのかもしれません。

 

  

  

 この客間棟の内部で見所の一つに掲げられるのが階段部。一階から二階へ昇降する階段が途中から曲線を描いて二階中央廊下へ廻り込んでおり、二階側の手摺も合わせて湾曲して取り付けられてあります。一階の手摺は欅の天然曲がり木を製材したものが嵌められ、飾りは轆轤で削ったものを採用。近所の土湯温泉はコケシで有名なので、コケシの技術の応用なのでしょうかね?

  

 シンボル的な存在である中央部の塔屋にも内部に螺旋階段が走っており、柿の無垢材で組んだ階段で三階の展望室へ誘います。側板の傷の部分には柿の木の図柄も彫り込まれてあります。

  

  

 客間棟の北側に続く居間棟は、家族の居住空間というよりは炊事場と使用人達の作業場がメインで、土間空間が全体の六割ほどを占めており、ここは昔ながらの豪農屋敷の名残を見せています。特に北側の土間にわは天井際まで一面ガラス窓となる為にとても明るく、この点では近代性を持つ広い土間で、そのまま東へ突き出すように作業場が延ばされていたことから作業場が主屋まで潜り込むような構成だったのでしょう。もう工場の一部。広い炊事場は板の間に囲炉裏が切られ、井戸や竈もある農家の土間空間です。

 

 

 この居間棟での見所は、炊事場の奥に並ぶ十四畳の主人居間と十一畳の居間。主人居間は漆黒の黒漆が塗られた総欅造りの折り上げ額縁格天井に、やはり欅の出世杢を床柱に噛ませた仏壇神棚を中央に鎮座させており、居間棟の正座敷”杉の間”と対比するような重厚な内部空間で、別名”欅の間”とも呼ばれています。欄間には精緻な透かし彫りが施されており、松竹梅が図案のテーマ。

 

 

 隣の家族用の居間は障子戸や紅殻格子の押入れ戸等、他の部屋とは意匠が少し異なる傾向で、特にユニークなのが動植物を象った彫刻と文様が散りばめられていること。床の間や書院棚に鶴亀や葡萄と栗鼠の彫刻があり、これは島崎藤村の詩集「若菜集」によるもので、格子の亀甲の文様は当然のように亀岡家の名に由来するものです。隣の薄暗い主人居間が男性的な空間とすれば、こちらは対比するようなガラス戸で明るい女性的な空間なので、それぞれ意匠の傾向も呼応しているのでしょうね。

 

  



 「伊達市保原歴史文化資料館」
  〒960-0634 福島県伊達市保原町大泉字宮脇265 伊達市保原総合公園内
  電話番号 024-575-1615
  開館時間 AM9:00〜PM5:00
  休館日 火曜日 12月28日〜1月4日