亀井邸 (かめいてい)



 陸奥国一之宮である塩竃市の鹽竈神社へとお参りする参道は三本あり、このうち一番ハードなのが急傾斜の石段を一気に登る表参道、次いでキツメなのがジグザグとつづれ折りの石段が続く七曲坂、そして最も楽チンなのが真東から一直線に緩やかな傾斜の石畳が続く東参道で、道沿いには民家が立ち並ぶご近所在住者の散歩道といった風情。この東参道の民家群の一角に、亀井邸と呼ばれるちょっとユニークな物件があり、地元の実業家が建てた大正期の和洋折衷による住宅建築で、NPOの協力により「海商の館」の名称で公開されています。

 

 この一風変わった邸宅を構えた亀井文平氏は、明治期に塩釜港で三陸における日本石油の代理店を始めて財を築いた商人で、現在は仙台に拠点を置く総合商社カメイの創業者。当時は三陸漁業の石油需要の高まりと、第一次世界大戦による軍需景気も相まって莫大な収益を上げたようで、その財力を次ぎ込んで1924年(大正十三年)に建てたのが今に残る御屋敷です。この竣工した年もわりと重要で、前年は関東大震災が発生した年でもあり、さらには数年後に大恐慌が訪れてしまうので、このようなお金をかけた物件が構えられたギリギリの年なのかも知れません。

 

 敷地は高台の傾斜地にあり、東西に延びる崖に沿って横長に平面が取られていて、木造二階建ての主屋の東に平屋建ての洋館と西に木造平屋建ての離れが連なる構成です。各建物からの眺望が考慮されているようで、塩釜港を中心とする街並みの風景を見下ろす形。鹽竈神社の境内からは遠く松島も望めるので、海浜の美しい風景が広がる”眺めのいい部屋”といった環境を施主がお気に召したのかもしれませんね。
 主屋は東向きに破風屋根を乗せた玄関を突き出し、軒先を持送りで支える出桁造りの構造が見られる純和風の造りですが、破風の妻下には草花の彫刻を入れ、その下の欄間のガラスには幾何学模様のデザインが見られるなど、伝統的な和風建築の工法に当時流行のアールデコ又はアールヌーボーのモダンな洋風の意匠が融合する、和洋折衷の様式が見られます。

 

 

 この傾向は内部において一層強まり、例えば玄関内部は上を見ると寺社建築等に見られる折上格天井なのですが、下は不可思議な紋様が描かれた特注のタイルが敷き詰められ、上がり框には瓢箪の形の埋もれ木細工が嵌められています。ちょっと不思議な空間です。

  

 一階は二間続きの八畳間と広い縁側が並びますが、特に縁側の突き当りには独特のデザインが窓枠に入るガラスの丸窓があり、その横手に同様のデザインによるガラス窓が並びます。これは当時流行のアールデコの影響で、あらかじめ仙台家具が造り付けられた押込箪笥の幾何学的な座敷の内装と、和洋で呼応したような意匠。その座敷の欄間には上溝桜が使われ、精緻な松に鶴の透かし彫りが入ります。廊下との障子を閉めれば純和風の空間が広がるわけですね。

 

  

 二階も同様に八畳間が並ぶ構成ですが、こちらは付書院に違い棚も付く格式高い書院造の座敷で、欄間には蝙蝠の図案による透かし彫りが入ります。なんでも日本石油の社章が蝙蝠の図案によるものからだとか。雪見障子には砂磨りガラスが嵌め込まれており、それも一枚一枚違った図案が並びます。ここで面白いのが二階へ上がる階段の踊り場。まるで料亭のように四方向へと階段が伸ばされていて、接客の多さが偲ばれます。

 

  

 蝙蝠と言えば二階の階段を上った先に六畳間があるのですが、その襖の引手にも流用されていて、日石関係の客人が多かったのでしょうね。引手のデザインも中々凝った図案が多く、離れに使われているものには七宝焼きが嵌め込まれ、押入れのには扇の透かしが入ります。

  

 洋館は崖上に迫り出す様に建ち、外壁には草花の紋様をあしらったアールヌーボーの影響が見られる装飾が付き、内部には主屋と同様に大きな丸窓が開けられています。洋間一間ですが北面には押込箪笥が造り付けられており、さらには仏壇も並ぶというここも和洋折衷の内装。南面一面がガラス窓が並ぶ明るく開放的な空間なので、塩竃市内が一望できます。

 

 



 「海商の館・旧亀井邸」
  〒985-0051 宮城県塩竃市宮町5-5
  電話番号 022-364-0686 NPOみなとしおがま
  開館時間 AM10:00〜PM4:00
  休館日 水・木曜日 年末年始