加賀屋新田会所 (かがやしんでんかいしょ) 大阪市指定文化財



 大阪市と堺市との市境をゆったりと流れる大和川は、現在のルートを流れるようになったのは江戸中期の18世紀初頭のことで、それ以前は柏原市築留近辺で北へ進路を取り、大阪城の北東あたり(京橋付近)で淀川に合流して大阪湾へ注ぐのがその道筋でした。が柏原からの下流域にあたる八尾・大東・東大阪は、流水がコーナーを曲がりきれずにオーバーランしてしまう為に氾濫が多く発生し、住民が困窮したことから当時幕府が柏原からそのまま真っ直ぐ西へ流す付替え工事を行うことになり、今ある姿になったというわけです。この付替えによって流域だった河内地区の農地事業が整備されて新田開発が進み、東大阪市の鴻池新田や八尾の安中新田の遺構が史跡として往時の姿を偲ばせてくれるのですが、新しく川となった大阪市南部も大和川が運ぶ土砂が堆積されて河口付近の新田開発が可能になり、今の住之江地区にも新たに農地が整備されました。住之江区の北島2丁目にその内の一つであった「加賀屋新田会所」が残されており、大阪市が管理して公開されています。

 

 この加賀屋新田は大坂淡路町の両替商だった加賀屋甚兵衛が開発した新田で、1728年(享保13年)に着手して開墾が始まり、その後19世紀中期の天保年間の頃には105町3反歩余の田畑を持つ大規模な農地だった場所です。農地の大半は今は住宅地に変貌されていますが、当時の事務所兼居宅だった新田会所は幸運にも残されており、大阪市内では唯一の遺構ということで、近年大阪市の史跡に指定されました。その会所は1754年(宝暦4年)に完成したもので敷地は4822uあり、園内には主屋として書院棟と茶室棟、それに土蔵が配されており、池や築山による池泉回遊式の本格的な庭園も造成されています。大きな長屋門を潜って順路を進むと冠木門が現れ、その奥には主屋の破風屋根の玄関が御目見え。
 主屋はこの玄関の西側に書院棟、その北側に渡り廊下を挟んで居宅棟と「鳳鳴亭」と呼ばれる茶室部が並びます。いずれも建築年代が定かでは無い様なのですが、少なくとも1827年(文政10年)までには建造されたものと思われており、特に書院棟は邸内では最も古くこの会所創設当初に近いものではないかと見られています。玄関部は後年に増築されたものとかで、大きな丸窓やナグリを入れた部材を使うなど、数寄屋の意匠が混入されています。

 

 

 玄関に連なる書院棟は西向きに造られた瀟洒な書院造りの建物。往時は近辺が浜でしたので、オーシャンビューと洒落こむ為に西向きにしたのだとか。ここは当主の別邸としても機能していたので、海浜の別荘として夏場を過ごしていたのやもしれませんね。屋根が入母屋造りの桟瓦葺による木造平屋建築で、内部は8畳の主室と6畳の次の間による構成となっており、長押を嵌めず皮付き丸太や細い部材を用いるなど、玄関同様に数寄屋の意匠が入った繊細な造りです。襖絵は雲谷派の絵師による山水画で、扁額には「愉園」と入っています。この扁額は大正期のもの。

 

 

 他にも桐の欄間の凝った透かし彫りや広縁の梁に使われた長尺の杉丸太など、豪商だった当主の財力を伺わせる箇所があちらこちらに。居室棟に繋がる渡り廊下も70cm〜90cmの松の巾広板を並べたもので、江戸後期のブルジョワジーの隆盛振りが垣間見えます。

 

 廊下の先は二階建ての居室棟。日常は当主は不在で管理人が在住していましたから、管理人室ということになるのかもしれません。書院棟に比べると地味な造りで、台所として土間があり井戸や竈も設えられています。縁側には仏壇も設置されていますが、ここだけ舟底の化粧屋根裏天井と凝った造り。

  

 居室棟の西側には茶室部の「鳳鳴亭」が続きます。おそらく書院棟より後に建造されたものと見られており、書院棟同様に屋根が入母屋造りの桟瓦葺による木造平屋建て。大きな特徴として池端に池に突き出すように懸造りとなっていることで、池を中心とした庭園の風景とその奥に広がっていたであろう大阪湾の風景を楽しむ為の空間だった模様ですが、今は隣の民家やマンションしか見えません。
 内部は3畳台目の小間に3畳の相伴席、そして水屋と8畳の広間に4畳の次の間による構成となり、広間周りを半間の広さによる縁側が取り巻きます。この広縁は池の上にあり全面を窓とした開放的なものなので、ひょっとしたら月見台なのかもしれません。ここで池に映る月を愛でてもよし、この縁側で月光の反射を受けて広間で楽しむとか。桂離宮古書院月見台同様の趣向があるのかもしれません。広間は網代天井や下地窓などの典型的な数寄屋造りで、当主が趣味人らしく茶道を嗜んでいたからとか。また当主の趣味繋がりからか大坂市内の文人墨客のサロンとしても機能していたようなので、次の間と合わせて12畳の広い洒脱な空間が必要だったのでしょう。次の間には炉も切られているので大規模な茶会も可能です。小間は一転して簡素で薄暗い空間となります。

 

 

 居室部のすぐ北隣に土蔵があります。明治期に移築されたものらしいのですが、周囲の環境と違和感が無くまるで当初からあったような風情。ちなみにこの園内の建物群は、書院・居室・鳳鳴亭の3件について大阪市の指定文化財となっていますが、この土蔵は除外されています。

 

 敷地の西半分は広い庭園となり、池に流水・滝組・築山・石橋とバラエティに富んだ構成で、蘇鉄や躑躅の刈込も目を愉しませてくれます。多種多様な石燈籠がよいアクセントになっていますが、苑路を順繰りに進むと四阿や待合が現れ、やがて茶室の躙口の前へ至るので露地としても機能していたのかもしれません。その場合は書院が寄付となるので、書院の数寄屋風な意匠はその辺りとも関係があるのかもしれませんね。

  

  



 「加賀屋新田会所」
   〒559-0015 大阪府大阪市住之江区南加賀屋4-8
   電話番号 06-6683-8151
   開園時間 AM10:00〜PM4:30
   休園日 月曜日 12月28日〜1月4日