浄智寺 (じょうちじ)



 異端の作家澁澤龍彦がその生涯の大半を過ごしたのは鎌倉、終戦直後に小町の東勝寺橋たもとに借家住まいをしてから、北鎌倉明月院近くの高台に居を構えて59歳で亡くなるまで、およそ40年間鎌倉の住人であり続けました。時間と空間が迷宮を織り成す古都は、氏に一番相応しい場所だったかも知れません。住まいに近い同じ北鎌倉の浄智寺に墓所があります。

 

 浄智寺は臨済宗円覚寺派鎌倉五山四位の禅寺、かつては11頭の塔頭を持つ大寺でしたが、今は関東大震災により全て崩壊し、山門や仏殿等が残るのみ。山門は上層部が鐘楼になった唐風の異国情緒漂うもので、仏殿の背後にも竹林や石塔が立ち並ぶあたりは、中国風の趣が残る寺内です。墓所は竹林奥の細長い谷合にあります。

 

 澁澤龍彦の墓所は風通しの良い小高い丘の中腹。下界の喧騒もここまでは届きません。氏はマルキ・ド・サドの紹介やヨーロッパ中世の闇の精神史の解明などで、異端のフランス文学者として知られていましたが、「思考の紋章学」あたりから東洋の物語性に着目し回帰していきました。日本や中国の中世の説話を題材にして、「唐草物語」「ねむり姫」「うつろ舟」といった精妙巧緻な珠玉の幻想譚を紡ぎ出し大きな成果をあげましたが、「高丘親王航海記」執筆中に喉頭癌を患い、昭和62年(1987年)8月5日に死去しました。戒名は「文光院彩雲道龍居士」。
 「唐草物語」はタイトル通り現実と幻想が入れ子の様にアラベスクとなって織り成す不思議な物語集ですが、東洋と西洋が重層的に重なり合うそのコスモポリタンな世界は、この寺の異国情緒と上手く融合して、氏の眠る場所としては最適なのかもしれません。

 境内はあちこちには、「やぐら」と呼ばれる崖下の洞穴状の墓地が点在しています。仏殿隣の草庵風の客殿ではお茶会も行われる模様です。

 



 「浄智寺」
  〒247-0062 神奈川県鎌倉市山ノ内1402
  電話番号 0467-22-3943
  FAX番号 0467-22-7727
  拝観時間 3月〜10月 AM9:00〜PM5:00
        11月〜2月  AM9:00〜PM4:30