浄土寺 (じょうどじ) 国宝



 瀬戸内沿いに細長く東西に広がる尾道は、その街並を南北に分割するように山陽線が串刺しに貫いているのですが、この山陽線の北側と南側は街並が大きく変わります。南側の海沿いのブロックは港町らしく港湾関係の施設や漁師の住宅に昔ながらの商店街や飲み屋が軒を並べる、ゴチャゴチャした漁師町の風情がありド演歌が聞こえてきそうな街並ですが、一方北側のブロックは山裾の入り組んだ傾斜地の僅かな平地に町家が建て込み、その間を迷路の様に階段や小径が走り、数多くの神社仏閣が点在する小唄でも聞こえてきそうな街並。なんでも元々は中世の頃までは今の山陽線あたりが海岸線だったらしく、後からドンドン埋め立てて今の地形になったとか。そのせいか北側には夥しい数の寺院があるのに南側はトンとありません。中世までの尾道は山に張り付いたような海辺の小さな寺町だったようです。その市内でも一番東側のやはり山裾に浄土寺という古刹があります。この浄土寺の門前は国道2号線が走りその先にはもう海岸が目の前という場所にあり、おまけに参道を山陽線が横切るという非常に狭隘なロケーションで、山門からは港の風景がもう丸見え。ちなみにこの山門は南北朝期の14世紀前期の建造で、国の重要文化財指定されています。

 

 浄土寺は616年に聖徳太子が開基した謂れを持つ西日本きっての古刹ですが、一時期衰退して鎌倉後期に再興されて今の伽藍が整いました。当時は奈良西大寺と繋がりが強く律宗でしたが、江戸期に真言宗に改宗しています。山と海に狭まれた細長い境内の為に伽藍の配置は海に向かって一直線に並んでおり、東から多宝塔・阿弥陀堂・本堂・方丈・庫裏客殿と並び、方丈庭園奥の高台に茶室露滴庵もあります。以前は五重塔もあったとか。この伽藍の内で中核となる本堂と多宝塔は、既存の真言密教に西大寺流律衆の要素が付加されたことから特異な意匠が図られており、福山の明王院と同様の折衷様式で建造された代表的な建造物群です。まず本堂は鎌倉後期の1327年(嘉暦2年)に建造された14m四方の木造建築で、屋根が入母家造りの本瓦葺。国宝に指定されています。

 

 この本堂はよく明王院本堂との関連性が指摘されており、特に外観が双子かと思うほどにそっくりな点。近隣で(直線距離で15km)比較的近い時期に建造されており(明王院が6年早い)、共に西大寺流律衆の手によることから同じような意匠となったのでしょうが、細部をよくチェックすると異なるポイントが多々見られ、実はそれがそのままこの2つの仏堂の内部空間にも亘る大きな特徴にもなっています。鎌倉期の折衷様式らしく長押を打たず貫を入れて桟唐戸を嵌め、反りの強い屋根と妻飾りに二重虹梁大瓶束を用いる等、禅宗様の強い意匠で明王院本堂と同様のものですが、まずその木割りは全体的に明王院のものより太く力強いものが使われ、背が低く広いのでどっしりとした安定感があります。また柱頭の頭貫に木鼻が付く大仏様の意匠ですが比較的シンプルなもので、明王院のように複雑怪奇な意匠ではありません。

 

 この差異は内部に入るといっそう際立ちます。密教寺院らしく内陣と礼堂とが結界として菱欄間と格子戸とで区割りされる点は明王院と同様ですが、礼堂における2本の大虹梁を架けて蟇股を乗せて組入天井を支える構成は、明王院本堂の二重虹梁と海老虹梁を多用して輪垂木天井を支える構成とは全く異にする意匠で、同じ折衷様とは思えないほど共通性が見られません。これはこの2つの寺院建築に携わった西大寺流律衆に関係性があり、いわゆる鎌倉期の東大寺再興の際に重源上人が大陸から導入した大仏様が和様に加わって新和様が発生して、さらに禅宗様も混入した折衷様が考案されてこの建築手法が西大寺の律僧に伝わり、西国の福山・尾道地域にも伝来したのですが、尾道の浄土寺へは大仏様の強い新和様に近い折衷様で建造されたのに対して、福山の明王院へは何故か禅宗様に近い折衷様で建造されており、マスクは同じななのに五臓六腑がまるで異なる仏堂が出来てしまったようなのです。この浄土寺の本堂で特筆すべきは内陣の精妙巧緻な折上格子天井で、豪放な礼堂とはうってかわって繊細な空間を作り出しており、純粋な和様の仏堂に近いものがあります。装飾の多い明王院本堂の内陣とはあらゆる点で対照的。礼堂内は自由に入れますし、右手の受付で拝観を申し出れば、解説付きで内陣も案内してもらえます。

 

 本堂と並んでこの伽藍の中核を成すのが多宝塔。建造は本堂より2年遅れる1327年(嘉暦2年)に建立された規模の大きな塔で、総高20.5mの下層一辺が6.6mの屋根は本瓦葺。バランスが優れプロポーションも良く、石山寺や高野山金剛三昧院と共に多宝塔を代表するもので、本堂同様に国宝に指定されています。

 

 この多宝塔も本堂同様に折衷様で建造されており、特に外観では和様を主体に大仏様が混入した新和様に近い意匠です。全般に和様なのですが、木鼻や下層軒下の尾垂木等に大仏様が採用されています。外観では特に蟇股に特徴があり、凝った細工の透かし彫りが最大の見所。内部は禅宗様の意匠が入り、壮麗豪華な花肘木で装飾された極彩色の空間なのですが、残念ながら非公開。

 

 

 この本堂と多宝塔との間にあるのが阿弥陀堂で、多宝塔からさらに16年遅れること1345年(貞和元年)の建造。大きさは桁行5間奥行4間の屋根が寄棟造りで本瓦葺。国の重要文化財に指定されています。本堂と多宝塔が折衷様で建造されているのに対しこの阿弥陀堂は純粋な和様建築で、蔀戸を取り回した装飾のない穏やかで端正な仏堂。本堂で拝観を申し込めばこの阿弥陀堂の内部も案内してもらえます。

 

 本堂の西側に方丈、さらに庫裏・客殿と続き、方丈と客殿の前には国名勝指定の庭園も広がります。こちらも本堂での拝観申し込みにより説明つきで案内されます。方丈・庫裏・客殿・茶室露滴庵は何れも国の重要文化財指定。平成の大改修とかで数年にわたって工事中。かように国宝重文建築の宝庫で、十一面観音菩薩像(国重文)や聖徳太子立像(国重文)等文化財も多く保有し、美しい庭園もあって敷居が高そうなイメージを持たれそうですが案外庶民的で、境内は自由で土鳩が舞い上がり、近所のお年寄がのんびりと散歩を楽しみ世間話でベンチで憩う、しごく敷居の低いお寺です。高台にあって港を一望でき、西向きなので夕暮れ時は絶景。小津安二郎監督の名作「東京物語」の終盤で、笠智衆と原節子が朝方海を見つめるシーンはここで撮影されました。

 



 「浄土寺」
   〒722-0043 広島県尾道市東久保町20-28
   電話番号 0848-37-2361
   拝観時間 AM9:00〜PM5:00
   拝観休止日 無休