石谷家住宅 (いしたにけじゅうたく) 重要文化財



 陰陽連絡線の因美線と第三セクターの智頭急行が分岐するのが智頭駅で、関西や岡山から鉄道に乗って鳥取に向かう際には必ず通るスポットです。この智頭駅のある智頭町は鳥取県東南部の岡山県との県境に位置し、中国山地の標高千メートルの山々に囲まれた山間の静かな町で、古来林業で栄えた町でした。樹齢300年以上とも言われる「慶長杉」を始めとする杉の名産地で、今でも手入れが行き届いた美しい人工林を見ることが出来ます。
 その地場産業である杉で莫大な富を築き、”山林王”とも呼ばれたのが当地の大庄屋だった石谷家で、町の中心部に豪邸が残され公開もされています。

 

 

 石谷家は元禄年間には分家を作るほどに繁栄していた家柄らしく、大庄屋に任じられるのは江戸中期の明和年間のこと。その後その大庄屋も分家に譲り地場産業の山林経営に乗り出し成功し、地方資産家として政治家にも進出した地方の名士という一族です。なんとなく筑豊の炭鉱王ともダブりますね。今に見る豪邸群は戦前の大正期から昭和初期にかけて建造された近代和風建築で、大庄屋の御屋敷というよりは近代における地方の資本家の大豪邸というのが正しい見かたです。このあたりも筑豊や唐津の炭鉱王と似てますね。
 敷地面積三千坪に合わせて40余りの部屋数を持つ主屋・家族棟・座敷棟と、7つの土蔵から構成される豪邸群で、いずれも国の重要文化財の指定を受けています。

 

 中核となるのは主屋。1924年(大正13年)に立柱し1928年(昭和3年)に竣工した木造二階建ての大型の住宅建築で、屋根が入母屋造りの桟瓦葺に、大きさが桁行23.2m奥行13.8m。南側に接客用に座敷と式台が張り出しています。主屋の南側には一畳分の畳廊下が走っており、そのまま座敷棟に連絡しているので、式台・座敷・畳廊下・座敷棟と動線が構成されていて、まるで武家屋敷の様相です。式台も総欅造りの本格的なもの。

 

 内部は西半分が広い土間となり、天井が高く吹き抜けて豪壮な梁組を見せています。松の巨木を縦横に架け渡して広い空間を造り、その上に小屋組みを構成して大きな屋根を受け、全体を欅の太い柱で支える力強い構造体で、近代和風建築というよりは近世の伝統的な農家建築の工法です。豪雪地帯でもあるので、雪対策もあるでしょうしね。
 東側の床上は囲炉裏の切られた畳敷きの広間で、ここで当主が出入り業者と商談する場として使われていたようです。土間は作業場でもあると同時に商品を陳列するにも有効ですし、この広間のさらに東側に主人室があるので、家業を司るには一番効果的なポジションということになるのでしょう。

 

  

 この広間の奥には当時としてはまだ珍しかった電話室もあります。土間の一角には女中部屋があり、一階が作業場で二階が寝室。特に寝室は窓が無い布団部屋のようです。

  

 土間の東側は「主人室」「書斎」「食堂」「次の間」と田の字型に部屋が並ぶ構成で、ここでも農家建築の手法を踏襲しています。特に「主人室」は端正な書院造りの座敷で、応接間としても充分機能しそうなほど。この主屋はあくまでも家業用のスペースだったらしく、家族の生活空間では無かったようで、「書斎」の北側に家族棟が連なります。こちらは「寝室」「婦人室」「子供部屋」「離れ」等の幾つもの部屋が並び、北側の渡り廊下で土間北側の「台所」に繋がる構成で、主屋とは完全に切り離されています。ちなみにこちらは今でも使われているのか非公開。

 

 二階にも座敷が幾つも並んでおり、山番や身内の宿泊所として使用していたようです。ここへ上がる階段がまたユニークで、洋風の螺旋状にカーブの掛かった凝った細工の手摺が取り付けられ、上には太鼓橋が渡されるちょっと他に類を見ない意匠。材木にはシオジが採用されていて、なめらかな肌触りが特徴です。何故か神殿もあり。

  

 

 主屋の南側に取り付くのが和室の応接室。中庭に面した数寄屋風書院造の座敷で、扇のデザインによる書院障子が印象的です。ここでの見所は庇と縁側で、庇の天井に幅広の杉の柾目を張り、その下に杉の小丸太の化粧垂木を取り付け、濡れ縁に栗の幅広板を嵌めた良質の木材と凝った造作が見られます。

 

 

 この和室応接室の北側に36枚分の畳廊下が走り、奥の座敷棟へと繋がります。畳廊下は座敷棟に入ると矩折りになって座敷棟の西側を走る構成で、その畳廊下が折れる根元に花頭窓が開かれ、隣に三畳間の仏間があります。仏間の仏壇廻りや竿縁天井・長押などは漆塗り。

  

 座敷棟も矩折りにL字型の平面構成で、北側に昭和期に建造された新建座敷、南側に既存の蔵を改造した江戸座敷が並びます。新建座敷は1941年(昭和16年)頃の建造で、外観は屋根が入母屋造りの桟瓦葺。南北に八畳間が並ぶ構成で、北側に仏間が付きます。特に主室である南側の座敷は正統的な書院造りによるもので、春慶塗による両違い棚や和紙の袋張りによる貼り付け壁など、グレードの高い意匠が施されています。
 なにしろ山林王の御屋敷ですから使われている木材は半端なものではなく、天井は奈良の春日杉、床柱には屋久杉の杢目を嵌め、縁側には幅広の欅が敷かれています。この磨きこまれた縁側の向こうに池泉回遊式の庭園が広がります。

 

 

 江戸座敷の方は、安政年間に土蔵を改造した建物で、外観は切妻造りの桟瓦葺。当地は豪雪地帯でもあるので、日本海側の民家に共通の深い庇がこの座敷棟には取り付きます。内部は八畳の主室と六畳の次の間による二部屋で、新建座敷の書院造りに対してこちら数寄屋風の造りとなります。やはり贅を凝らした意匠が展開する座敷で、天井や柱・鴨居・敷居などが黒く墨で塗られ、それぞれの材は面皮を残す数寄屋の手法をそのまま踏襲しています。

 

 

 特に一番の見所は窓で、平書院にはハートマークの組み障子が付き、違い棚奥には桂離宮新御殿の櫛形窓のコピーが嵌められています。こんな山の中にも京都のお公家趣味が伝播してくるのですね。
 他にも平書院の下の框には、蔓を巻いた材をそのまま流用したひねりの跡が見られたり、違い棚も海老束を扇子状にしてみたりと、大胆な意匠が展開しています。隣の次の間にも床柱に高価な黒柿が嵌められています。

 

  

 この座敷棟の襖の引き手も中々手を込んでいて、笹の葉や瓢箪に鳳凰など様々図案を精緻な技術で穿っており、こんな山奥に何故これほどまでの洗練された意匠が見られるのかと感嘆してしまいます。

  

 江戸座敷の奥にあるのが茶室。池の畔に立つ四畳半の小間ですが、いつ建てられたものかは不明。おそらく昭和初期のものではとの話です。こちらは非公開。

 

 その茶室の前には桂離宮松琴亭前の白川橋のコピーがあります。この茶室はさじづめ松琴亭ですか?池泉回遊式の庭園は、江戸座敷から眺めると大きな枯滝の石組が対面に見られ、背景の山林を借景とする奥行きのある造りで、まさに深山幽谷を思わせます。この池泉回遊式の背部には実は枯山水と芝庭が繋がっていて、江戸座敷からはその存在は全く想像できません。国登録記念物(名勝)指定。

 

 敷地内にはこの御屋敷群を取り囲むように夥しい数の蔵が並びます。防火対策の意味もあったのでしょうね。

 



 「石谷家住宅」
  〒689-1402 鳥取県八頭郡智頭町智頭396
  電話番号 0858-75-3500
  開館時間 AM10:00〜PM5:00
  休館日 水曜日 12月28日〜1月2日