伊佐爾波神社 (いさにわじんじゃ) 重要文化財



 道後温泉は松山市内からすると北東の街外れの位置し、すぐ裏手はもう山の中。なにしろ日本書紀にも名前が出る程古い温泉場ですから由緒正しき神社仏閣が豊富な場所で、国宝の仁王門を持つ石手寺や天智天皇創建の宝厳寺がその山裾に開かれており、同様に温泉街の東側の一際高くなった丘の上に、中世に開かれた伊佐爾波神社が鎮座しています。この神社の参道である石段は135段もあり、参拝前には過酷な試練ですが登ってしまうとさすがに眺めは素晴らしく、特に夕暮れ時の湯の町風情は中々の絶景。ちなみにこの石段で、映画「がんばっていきまっしょい」のトレーニングシーンのロケが行われました。

  

 この伊佐爾波神社は半端でなく古い歴史を持ち、由縁によると仲哀天皇・神攻皇后(2世紀頃)が道後温泉に逗留した際の行幸地を神域として開いたという言い伝えがあるのですが、この仲哀天皇は存在がかなり疑問視されているので、まあおそらく伝説にすぎないでしょう。元々別の場所にあったそうなのですが、鎌倉期の14世紀頃に当地に移転し、今の社殿は江戸初期の寛文7年(1667年)に竣工されたもの。松山藩の八社八幡の筆頭にあげられるほど位の高い神社であり、また当時の藩主だった松平定長が江戸城での流鏑馬の成功を祈願し、成就したお礼にと巨費を投じて寄進にあたったことにより、今に見る壮麗で大規模な社殿が完成したわけです。その陣容は華やかな極彩色に彩られた桃山風で、特に正面には2階建ての丹塗りが鮮やかな豪壮な楼門が参拝者を迎えてくれます。

 

 この楼門は装飾が豊かで、狛犬や波間を泳ぐ鹿の彫刻等が施されているのですが、それ以上に面白いのが軒を支える四隅の斗供の尾垂木の上に裸身の金剛力士王が乗っていることで、これは法隆寺五重塔と同じ趣向のもの。嘗ての神仏習合の名残りなのでしょう、寺院建築の手法が取り込まれているようです。

 

 

 楼門の奥に繋がって廊下と申殿(もうしどの)があり、ここで一般に礼拝を行います。楼門は本瓦葺の重厚な建物ですが、この申殿は檜皮葺の優美な外観を持ち、内部も丹塗りを基調に、虹梁や虹梁上の蟇股に極彩色の装飾を施した華麗な空間。同じ江戸初期の日光の東照宮のような過剰なまでの華美でドギツイものではなく、上品でノーブルな美しさをそなえています。この申殿の奥に本殿があります。
 楼門から左右に丹塗りの廻廊が伸び、申殿・本殿を取り囲みます。この廻廊も虹梁の蟇股に一遍上人遊行の図案が彫りこまれており、このあたりにも楼門同様に神仏習合の名残りがあるのでしょう。

 

 

 その廻廊が取り囲む本殿は全国でも珍しい八幡造りで、大分の宇佐神宮と京都の石清水八幡と並ぶこのスタイルの代表例です。流造りの社殿が前後に二つ並ぶ構成で、前側は外殿、後側は内殿と呼ばれ、外殿は神の昼の領分、内殿は夜の領分を表すそうです。この前後に社殿が並ぶ構成は仏堂の正堂・礼堂、又は内陣・外陣と似ており、やはり神仏習合の名残りかもしれません。美しい丹塗りの木部に檜皮葺の屋根を乗せて、正面と向拝の柱に金箔を張り、向拝の海老虹梁や手挟に草花の浮彫りを施した極めて優美な外観を作り上げています。妻部の蟇股には仏教の想像上の動物である迦陵頻伽(かりょうびんが)がデザインされていて、これも神仏習合の名残りなのでしょう。この本殿・申殿・廊下・楼門・廻廊含めて、全て国の重要文化財の指定を受けています。

 

 



 「伊佐爾波神社」
   〒790-0838 愛媛県松山市桜谷町173
   電話番号 089-947-7447
   境内自由 年中無休