今西家住宅 (いまにしけじゅうたく) 重要文化財



 大阪平野から奈良盆地にかけてのなだらかな丘陵地帯には、中世へと遡る長い歴史を持つ街並が集中する地域で、国際交易都市の堺や、南都大寺の門前町だった奈良町に、城下町の郡山、吉野詣への宿場町の五條、同じく街道町の名柄と、それぞれ昔ながらの区割りに古い民家が建ち並ぶ、趣のある街並が残されています。その街並の形成にはその地域ごとの特性があるのですが、一番多く見られるパターンが寺内町で、浄土真宗や一向宗等の門徒が寺院を中心にして町を構成したもの。富田林や貝塚に久宝寺など河内地区に多く見られますが、この寺内町の中で最もその街並が良く残されたのが、橿原市にある今井町です。
 この今井町は室町末期に一向宗の門徒が称念寺を中心にして開いた町で、東西約600m南北約300mのほぼ長方形の区割りに掘りと土塁で防御を固め、内部の通路を枡形にして曲折部を多くした城塞都市でした。交通の要所だったことから商売にも優れ豊かな財力を持ち、自冶組織を形成して大名とも互角で渡り合った独立都市として大いに繁栄しましたが、戦国期の信長の登場によりそのシステムは崩壊し、江戸期以降は一商業町としての道を歩んだ歴史を持ちます。
 今でも江戸期の区割と町屋が多く残り、その趣のある街並みに迷いこむとタイムスリップした心持ちに陥りますが、堺や貝塚と違い行政の中心から離れた場所にあり、江戸期でも運営が町人自冶だったことが(収益のあがりは幕府)、このような街並が奇跡的に残った要因なのでしょう。
 今井町は1995年(平成5年)に文部科学省の重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けているのですが、指定物件が600件以上と他の地域に比べてダントツに多く、しかも国の重要文化財の指定を受けた民家が8件もあり、これも他では見られない充実振り。この重文指定の民家の中でも一番古く、この町内の筆頭惣年寄を代々務めていた今西家が、町内最西端に屋敷を構えています。

 

 この今西家住宅はこの今井町だけではなく、全国の町屋建築でも屈指の古い民家建築。建物は環濠の畔に白漆喰の塀で囲まれた城郭のような外観で、西門脇にあることから本当に城砦の役目もあったようです。建造は江戸初期の1650年(慶安3年)で、大きさは桁行15.9m奥行13.8mの二階建て。屋根は入母屋造りの本瓦葺きで、格式の高さを示すものなのでしょう、妻側に大棟の破風に小棟の破風を添えた八棟造りと呼ばれる天守閣を彷彿とさせる複雑な意匠を施しています。外壁は白漆喰を庇の軒下まで塗り込めて、2階の虫籠窓に飾り格子を付け、1階の窓に出格子を嵌めた堅牢で重厚な造りでまさしく城塞のような外観です。

 

 内部は敷地の西半分が広い土間となり、東半分が2列3室の整形6間取りによる居室部と奥に別棟の角座敷が続きます。この土間部は天井が高く吹き抜けていて、牛梁と呼ばれる野太い木材を渡し、小屋組みを載せた豪農民家住宅のような豪壮な梁組みが見られるのですが、町屋建築でこれだけの土間空間を持つ民家は珍しく、それだけ古いものであることの証しでもあります。外観に城郭、内部に農家の様式を取り込んだ町屋建築としては稀有な存在です。

 

 

 筆頭惣年寄を長年務めていたこともあって代官の役目も兼ねていたこともあり、この土間はお白州としても機能していました。土間前の二段の上がり縁の板の間は舞台状で、背景の板戸には松の絵が描かれており、まるで能舞台のようなこの空間で、罪人の評定が行われていたようです。昭和初期までは牢屋も付属していたそうです。この空間は今でもイベント(演劇や落語・講談等)でも使えそうな気がします。
 居室部はミセ・ナカノマ・ダイドコロ等が並ぶのですが、中央のナカノマとナンドとの敷居を一段上げて板戸とした閉鎖的なもので、帳台構えと呼ばれる古い様式のもの。農家建築には見られますが、町屋建築では珍しくこれも建造の古さを物語ります。ミセも式台構えの格式の高い造りです。

 

 



 「今西家住宅」
   〒634-0812 奈良県橿原市今井町3-9-25
   電話番号 0744-25-3388
   開館時間 AM10:00〜PM4:00 要予約
   休館日 月曜日 8月16日〜22日 12月25日〜1月6日