旧堀田家住宅 (きゅうほったけじゅうたく) 重要文化財



 愛知県西端部に位置する津島市は、今では信じられませんが中世には湊町だった場所。木曽川の運ぶ大量の土砂が堆積して自然の堤防が形成されて優良な湊が出来、鎌倉期には尾張の西の玄関口として栄え、江戸期にも桑名へ渡る船着場として水運の要所でした。その後木曽川・長良川・揖斐川と川が集中する地域の為に益々土砂が堆積して自然に内陸に引っ込む形となり、湊町としての役目を江戸中期には喪失していたようです。ただ往時の湊の名残は市中心部の天王川公園に見ることができ、毎年7月の天王祭の際に広い池に豪華なだんじり船がうち揃って、湊町らしい派手で勇壮な巡航が祭りを盛り上げます。津島のもう一つの特徴は門前町であることで、全国天王社の本社である津島神社があり、やはり中世から参詣する人々で賑わいを見せていました。さらに織物や製菓などの商工業でも栄えた町で、「信長の台所」とも呼ばれた尾張有数の商業都市でした。かように中世に繁栄した町らしく街並も緩やかに婉曲し、格子造りの町屋が並び、大小様々な寺院も多く点在する中世の香りが感じられる町です。著名な彫刻家イサム・ノグチの父親もこの津島の出身で、生家も遺されています。そんないにしえの面影を残す街並の中で、代表的な町屋として堀田家住宅が津島神社の門前に移築されています。

 

 堀田家は中世から強い勢力を誇った土豪の津島衆11家の一つだった旧家で、江戸中期に酒造業・金融業で資産を築き新田開発まで行った家柄。現在の建物は正徳年間(1711年〜1716年)の建築で、1765年(明和2年)に改築されましたが新築に近いリフォームだったようです。その後1789年(寛政元年)に座敷周りが増築され、明治期に背部の台所・女中部屋が増築され今の陣容になった模様です。太平洋戦争後も住居として使われていましたが、1973年(昭和48年)に道路拡張のため曳屋をして西南60mの現在地に移築されました。国の重要文化財に指定されています。建物は主屋に東蔵・西蔵・小蔵と3つの蔵が付属し、主屋は桁行7間半奥行7間の一部2階建てで、屋根は桟瓦葺きの切妻造り。正面に下屋庇を設け、両妻に卯建を上げ忍び返しを付けています。

 

 内部は幾度かの増改築を経ているせいか少々複雑な間取りで、商業空間の「みせ」を含む居室部、その奥の座敷部、西南の台所部と3部構成に分かれていますが、当初は居室部だけの小規模な建物だったようです。正面の大戸口を入ると「マエゲンカン」と呼ばれる土間になり、左手が「コミセ」と」呼ばれる待合の間、右手に12畳の「みせ」とその奥に一段高くなった「ミセザシキ」があります。これらの店舗空間は全て道路側に面してあり、表側の庇を内に取り込み、窓には千本格子を嵌めて柔らかな採光が図られています。「こみせ」は床は石畳なのですが、移築前は畳敷きでした。「みせ」「みせざしき」はほぼ旧態を保っている箇所とされ、上に2階があるので天井は低くなっています。

 

 

 「みせ」「みせざしき」の2階は8畳が2つ並ぶ天井の低い座敷で、床の間もある数奇屋風の佇まい。2階へは「みせ」から直接上がれるようになっており、箱階段になっています。

 

 

 「まえげんかん」の暖簾を潜ると中は「ナカゲンカン」と呼ばれる土間。隣り合う6畳の「オエ」と天井が一体化しており、高く吹き抜けて採光用の天窓から土間を明るく照らします。梁は農家建築のような野太い物を架けており、下には荒神かまどが据えられ格式の高さを示しています。

  

 この「なかげんかん」の奥は明治期に増築されたおくどさんのある台所で、配膳室・女中部屋・使用人食堂などが回りに並ぶ生活空間。「まえげんかん」「なかげんかん」そしてこの台所が一直線に並ぶ通り土間になっています。ここの天井は「なかげんかん」と違い均等に揃えられた梁組み。

 

 「オエ」は上台所で、この奥は居間にあり、さらにその奥は仏間があります。この家は内庭が多い住宅で、居間・仏間の南側は瀟洒な庭が広がっています。仏間は2畳の畳床付きの格式の高い空間。
 仏間の北側は「茶座敷」で、やはり床の間の付いた座敷。この茶座敷前の庭に木戸があり、奥の茶室へと続く露地の寄付としても機能していたようです。欄間には精緻な透かし彫りが施されています。

  

 

 茶座敷から6畳の「なかのま」を経て最奥に12畳の「書院」があります。正面の床の間は床壁が襖を嵌め込んだような構造の張付壁で、右手に琵琶床、左手に天袋・地袋を作り、丸窓や竹框も設けた数寄屋風の趣きもある書院造りの座敷です。畳の組み方も一風変わっています。元々は10畳の座敷だったらしく、縁側を後から改造して追加したので、庭側が一段低い網代天井となっています。
 この書院から眺められる内庭は「居間」「仏間」とは違う庭で、より狭くよりプライベート感の強い繊細な趣の庭です。

 

  

 「書院」の隣に茶室があり、「書院」より少し遅れて増築された模様です。2畳台目の間取りで床は畳床に床壁は土壁、入り口は貴人口の構成となり、外に町人用としては珍しい竹製の刀掛けがあります。帯刀が許された格式の高い商人だった証しです。堀田家は表千家の久田家と交流があり、久田宗参の指導によるもので、表千家らしい端正で静謐な席です。

  

 「書院」の裏手に蔵が3つ並び、主屋から直接中へ入れるようになっています。主屋正面から見ると、粋な黒塀見越しの松の奥に蔵群が立ち並び、中々の壮観。敷地のすぐ裏手に元あった場所の碑が立っています。たいした距離じゃないんですが・・・。

 



 「旧堀田家住宅」
   〒496-0857 愛知県津島市南門前町1-2-1
   電話番号 0567-25-2165
   開館時間 土・日・祝日 AM10:00〜PM3:00