山口蓬春記念館 (やまぐちほうしゅんきねんかん)



 皇室の御用邸と言うと、那須と葉山と須崎の3ヶ所がありますが、この内度々お使いになるのが一番近い葉山の御用邸。この御用邸のある一色地区は、同じ葉山町内でも漁師町の風情も漂わせる森戸界隈の賑やかさとは異なり、三日月型の静かな入り江に瀟洒な御屋敷が点在するとても閑静な住宅街で、モンブランが有名な鴫立亭という小洒落た洋菓子店もあったりする、さすがロイヤルファミリー御用達の上品な海辺の町。夕暮れ時には海越しに赤富士も望める絶景スポットだったりもします。
 その一色海岸の真北にある大峰山の麓の住宅街の外れに、日本画家の山口蓬春の旧居とアトリエが残こされており、現在は記念館として公開されています。
 ユニークなエントランスゲートは建築家大江匡の作品。

 

 山口蓬春(1893〜1971)は、戦前の大正期から戦後の昭和40年代にかけて長く活躍した日本画家で、伝統的な日本画に西洋絵画の影響を強く受けた作風で知られており、”蓬春モダニズム"と呼ばれる独自のスタイルの作品を数多く発表しています。当初は新大和絵の松岡映丘に師事して伝統的な手法で古典的な題材の作品を描いていましたが、大正モダニズムの洗礼を受けてか作風に変化が見られ、戦後になると保守的な社会風潮の呪縛が解けた為か日本画とは思えない斬新な作品(ブラックやマチスのようなフォービズムの影響)を連打して話題を呼び、晩年はルドンのような濃密で豊かな色彩を武器に緊張感の高い花鳥画や静物画を残こしています。
 この邸宅を構えたのは戦後の1948年(昭和23年)のことで、第二次世界大戦中の疎開先の山形からこの葉山へ引っ越してきたのがその経緯。既存の民家を購入してリフォームし、画室も増築してアトリエとしても使用していた建物で、1971年5月に亡くなるまでここで暮らしていました。その後は夫人からJR東海へ寄贈され、1991年(平成3年10月15日)に記念館として開館しています。
 その際に邸宅をリフォームし、内部に展示室と収蔵室が新設され、エントランスゲートが造られたというわけです。このあたりの設計も大江匡の担当。

 

 記念館とあるように、制約があるのか作品の展示室は非常に狭く出品点数も少ないです。どちらかというと画家の仕事現場と居住空間、それに緑豊かでその風光明媚な自然環境が作品に対する大きな土壌という由縁か、画家自身の普段の生活空間を味わってもらうことに主眼があるのかもしれません。それほど恵まれた居住空間ではあります。
 それからこの記念館の大きな特徴が、購入直後のリフォームと画室の増築を建築家の吉田五十八が手掛けていること。実は蓬春と五十八は共に東京芸大で同時期に学んだ仲で、モダン数寄屋の伝道師だった五十八とモダニズム日本画の蓬春は共鳴するところがあったのでしょう。蓬春の墓石も五十八が設計したとか。
 一階の「桔梗の間」は大徳寺孤篷庵忘筌のような明障子が印象的な広間型茶室ですし、二階の旧画室も障子戸に囲まれ柔らかな日差しに包まれた趣のある座敷で、廊下も円窓や皮付丸太が見られる数寄屋風の造りとなり、何よりも庭が一望できる開放的な内部空間を持つ増築された新画室と、五十八ならではのモダンな数寄屋建築が展開する住宅建築です。

 

 

  

 邸宅のすぐ後ろは崖で、前面の南側は緩い傾斜の芝地と草木が並ぶ庭園となり、その中心をゲートと記念館入口との園路が貫きます。楓・梅・桜・松・アカシア等の木々が植えられ、季節ごとに水仙・紫陽花・萩・山吹などの花々が可憐な姿で目を楽しませてくれます。蓬春の静物画には花を題材としたものが多いのですが、日本的な情緒が希薄で不思議と現実感が弱く、やはりルドン晩年の花を描いた静物画のような彼岸性が感じられます。岡鹿之助の静物画にも似ており、元々西洋絵画から日本画に転向した画家が、本来あるべき姿に辿り着いたということなのかもしれません。

  

 御近所に神奈川県立近代美術館の葉山館があります。セットで観覧するのがお薦め。
 それと美術館内に海を見下ろす絶好のビューポイントに小洒落たレストランのオランジュ・ブルーもあります。特に夕暮れ時がベター。混みますけど。
 この南が葉山しおさい公園となり、立派な日本庭園にお茶室が点在。抹茶も頂けます。さらにこの南が御用邸になります。

 

 



 「山口蓬春記念館」
   〒240-0111 神奈川県三浦郡葉山町一色2320
   電話番号 046-875-6094
   開館時間 AM10:00〜PM5:00
   休館日 月曜日 祝日の翌日