本門寺五重塔・宝塔 (ほんもんじごじゅうのとう・ほうとう) 重要文化財



 どうも日蓮宗は五重塔がお好きのようで、江戸期以降に建造された五重塔の半数は日蓮宗のお寺。国宝・国重文に指定されている近世五重塔も12基のうち5基が日蓮宗のもので、同じ鎌倉新仏教の浄土真宗が塔を一切建てない事と対照的です。特に塔の少ない東日本ではとても目立つ存在。
 日蓮が入滅した東京池上の本門寺にある五重塔も、高台にあるおかげで周辺の住宅街からは本当によく目立ち、この寺のランドマーク的な存在でもあります。

 

 本門寺は鎌倉中期の1282年(弘安5年)に日蓮が有力支援者の池上宗仲の館で客死し、宗仲が日蓮没後に約7万坪の敷地を寄進して開山された寺院で、日蓮宗大本山として今でも大勢の参拝客を迎える大寺院です。
 伽藍の中心は本堂である祖師堂ですが、仁王門ともども空襲で焼失しており、逆に難を逃れたのが少し離れた場所にある二つの塔。旧国宝だった仁王門から真東へ延ばされた桜並木の向こうに、丹塗りの五重塔が聳えています。桃山期の1608年(慶長13年)に徳川二代将軍秀忠が乳母日幸の発願によって建立した塔で、現存する関東最古の塔でもあります。
 なんでも昔は本堂の右手にあったそうなのですが、元禄年間に現在地に移築したそうなので、空襲の罹災に遭わずに済んだとか。強運の塔でもあるようです。

  

 相輪までの総高さは29.47mあり、広さは方三間に初層総間4..28mで、屋根が初層と二層が本瓦葺で三層から上は瓦棒銅板葺。初層は和様で軒も平行垂木ですが、二層から上は禅宗様で組まれており、軒も扇垂木に変わります。相輪が短く各重の逓減も少ないのでややバランスが悪く、全体のプロポーションもあまり良いとは言えません。普請を担当したのが江戸の大工衆なので、しかもその最も早い時期の作品ですから、西日本に比べて寺社建築経験の蓄積が少ないことが影響しているのかもしれません。
 初層の蟇股には十二支をモチーフとした極彩色の彫刻が施されています。

 

 

 内部の心柱は初層には通じておらず、初層天井上の梁から屹立しています。で、その初層は中央に須弥壇が置かれ、一塔両尊四士と呼ばれる日蓮宗独特の仏像が安置されています。この仏像も建立当初の物。扉の内側にも蟇股と同様に極彩色の花鳥をモチーフとした彫刻が施されており、桃山期らしい華やかな建築物ではあります。桃山期の五重塔は全国でもこの塔しかなく、中世から近世へと至る過渡期の塔という面でも貴重なことから、国の重要文化財に指定されています。

  

 この五重塔から本堂を挟んで反対側に立つのが灰塔と呼ばれる宝塔。顔的な存在の五重塔に比べて傾斜地の森の中にある為に少々判りにくい場所にあり、いつでも周囲はひっそりとしています。日蓮が亡くなった宗仲の館はこの崖下にあり、またここも荼毘所の跡地でしたから、塔婆として相応しい場所なのでしょう。
 江戸後期の1828年(文政11年)に日蓮550年遠忌を記念して建立された宝塔で、大きさは総高17.5mあり、下層軸部の直径は5.5mに上層軸部の直径3m。屋根は宝形造りの瓦棒銅板葺。下部が極太で短い為にどっしりとした安定感があり、堂々たる重量感を見せる外観です。塔身の大半には、周囲の緑に良く映える鮮やかな朱の漆が塗り上げられています。

 

 この宝塔も五重塔同様に華やかな装飾を身に纏っており、上層組物に極彩色の龍の彫刻による尾垂木を伸ばし、鳳凰の彫刻による拳鼻を付け、金と朱の対比で煌びやかな相輪の火炎宝珠に宝鎖と宝鐸を吊るして、華麗で荘厳な姿を見せています。
 内部はさらにその度合いが強くなり、中心に立つ四天柱と虹梁・天井は金箔で光り輝き、極彩色の彫刻が飛び交う壮麗な空間。中央に蓮華座の須弥壇があり、この宝塔と酷似する小型の金色の宝塔が安置されていて、胎内に分身を持つ姿です。何でも日蓮宗ではこの宝塔に大きな教義があるとかで、釈迦が法華経を説いていると地中から宝塔が湧き出し、空中に留まって大音声をあげるという説があり、その具現化した姿がこの巨大な宝塔ということなのでしょう。目にも鮮やかな朱の塔身が、マグマの如く地中から盛り上がってきたような印象を与えるパワフルな姿です。
 木造宝塔としては最大規模で、このように装飾性豊かな例は他にないことから貴重であり、五重塔と同様に国の重要文化財の指定を受けています。

 

  



 「本門寺」
   〒146-8576 東京都大田区池上1-1-1
   電話番号 03-3752-2331