北海道庁本庁舎 (ほっかいどうちょうほんちょうしゃ) 重要文化財



 札幌は明治期以降に開拓され発展した歴史を持つことから、当初から西洋的な理論整然と整備された近代的な街並が見られる北の大都市で、また殆ど空襲や大地震がなかったこともあり、明治初期の欧化政策推進当時の建物が数多く残る場所です。同時期に開拓された小樽が北のウォール街として民間企業のビルが多く残るのに対して、札幌は開拓使本庁が置かれたこともあり官公庁が多く見られ、特に有名なのは日本三大ガックリと呼ばれる札幌時計台(ちなみに他の二つは高知のはりまや橋と那覇の守礼の門)。この時計台の近くに北海道庁があり、道庁の敷地内に開拓当時の建物である旧本庁舎が残されていて、赤れんが庁舎として無料で内部公開されています。こちらはガックリさせません。

 

 札幌に開拓使が設置されたのは維新直後の1869年(明治2年)で、4年後の1871年に開拓使本庁舎が完成したもののその6年後に焼失し、そうこうするうちに1882年(明治15年)に開拓使自体が廃止となってしまい変わりに1886年(明治19年)に北海道庁が設置されることになり、1888年(明治21年)に今見る庁舎が完成しました。が1909年(明治42年)に再び火災に遭遇し煉瓦壁を残すのみで内部を焼失してしまいましたが、2年後に復旧工事を行って道庁本庁舎として1968年まで使用され、現在は道立文書館や開拓記念館等の施設として転用されています。敷地面積1654uの広さに屋根がスレート葺の煉瓦造りによる地上2階地下1階の建物で、国の重要文化財の指定を受けています。堂々たる外観の大型洋風建築ですが、正面にあたる東面と背面の西面とが全く異なるマスクをしており、またサイドの南北面もこれもまた違うフェイスをしていて、変化のある美しい煉瓦造りの外観も見所ポイントの一つ。

 

 外観で一際目を引くのは中央屋上のドーム。建設当初は計画に無かったようなのですが、当時の初代長官の命により急遽設置されたものらしく、しかも構造上強度が保てないことから結局完成の6年後に撤去されていたもので、1968年に修復事業により創建時の姿に戻す措置が取られて復活したという代物。何故そんな危ない物を載せることになったかというと、最初に建造された開拓使本庁舎が顧問として開拓の指導にあたっていた米国人ケプロンの故郷メリーランド州議事堂をモデルにして建造されたものとかで、当時の米国では屋根に八角形ドームを載せるのが流行だったことから、シンボリックな外観としてかなり目立つ存在だったらしく、道庁本庁舎として再建された際にその開拓使として象徴的なモニュメントを受け継ぎたいという思いがあった模様です。そういうわけでこの本庁舎は19世紀後半のアメリカ風ネオバロック様式による建物となっています。屋根に付けられた煙突やドーマー窓、それに避雷針と何れも装飾性の強い意匠で、整然とフランス流に積み上げられた赤煉瓦は道内の白石村と豊平村で焼かれた物。ちなみに木材や鋼材も道内産を使用しています。

 

  

  内部は中央の大階段を中心に左右にシンメトリカルに4部屋ずつ並ぶ配置で、廊下や部屋は天井が高く、太い柱や重量感のある厚いドア板など質実剛健の頑丈な造り。部屋のドアや廊下の仕切りは全てアーチ状となっており、特に1階玄関ホールにおける大階段の3連アーチは印象的なもので、漆喰の彫塑や柱のオーダーなど細部にも凝った意匠が施されています。

 

  

 各部屋は道立文書館・開拓記念館・樺太関係資料館・北方領土館・国際交流道産品展示室等の公的な施設として使用されていますが、旧知事室は記念室として往時のままに保存公開されており、重厚なカーテンボックスや豪華なシャンデリア等で装飾された格式の高い部屋。窓は厳寒を凌ぐ為でしょう当然二重窓です。

 

 



 「北海道庁赤れんが庁舎」
   〒060-8588 北海道札幌市中央区北3条西6
   電話番号 011-204-5019
   開館時間 AM8:45〜PM6:00
   休館日 12月29日〜1月3日