日吉東照宮 (ひよしとうしょうぐう) 重要文化財



 東照宮と言うと日光や久能山が有名ですが、調べて見ると全国にかなりの数が建てられたようで、御三家はもとより諸国大名家がこぞって勧請して豪勢な霊廟建築が建造されたようです。殆どが江戸初期に建立されたものなので、当時ピークだった将軍家の威光がそれだけ絶大だった証なのでしょう。その性格上から明治期以降は破却されるものもあったようですが(皇居内の紅葉山東照宮など)、特に徳川家ゆかりの土地に建てられた物件はわりとよく残されており、江戸初期における規模が大きく技巧を凝らした華麗な建築物が今でも見られるというわけです。
 比叡山の麓、日吉大社の境内にある日吉東照宮もその一例で、徳川家に強い影響力を持っていた天海僧正の肝入りで建てられた物件です。当時は日吉大社と比叡山延暦寺は分離されておらず、この東照宮も元は延暦寺の管轄だったので、天台宗の僧だった天海が総本山に造らせたものということになります。

 

 建立されたのは元和九年(1623年)ですが、すぐ再建されて現存の社殿が竣工したのは寛永十一年(1634年)のこと。東照宮の建築時期を時系列に照らし合わせて見ると、久能山が1617年、日光が1636年となるので、現存する日光東照宮よりも古く、規模が小さいながらも構成や意匠に共通項が見られることから、雛型として建造されたのではないかと推測されています。
 境内は東向きに唐門を開き、その唐門の左右から伸ばされた透塀が社殿をぐるっと取り囲む構成で、久能山と同じ。何れも国の重要文化財の指定を受けています。そう言えば全国の東照宮は比較的東向きが多いようですね。また東照宮は北辰信仰とも関係があるようで、この日吉大社の社殿群が北斗七星の配置構成に倣っていることや、平城京から見て北極星方向のあたる当地に、この東照宮が置かれたことは無縁ではないのかもしれません。
 唐門は檜皮葺屋根の四脚門で、天井や冠木上に極彩色の紋様や彫刻が施されていますが、重厚な久能山のに比べるとかなり穏やか。

 

 久能山・日光東照宮と言えば権現造りの代表的な物件で、ここでも規模がスモールダウンしますが、拝殿と本殿を石の間で繋ぐ権現造りの社殿が唐門奥に鎮座しています。
 拝殿は屋根が入母屋造りの銅瓦葺で、正面に千鳥破風が付き、大きさが桁行五間と奥行二間に、三間の向拝が取り付く構成。本殿との間にある石の間は、屋根が両下造りの銅瓦葺で、大きさは桁行三間に奥行一間。本殿も屋根が両下造りの銅板葺で、大きさは桁行五間に奥行三間。トータルで言うと桁行が五間の奥行が六間の社殿ということになります。ちなみに久能山は同じ大きさですが、日光は桁行九間に奥行十間とさすがに規模が一段とスケールアップします。

 

 

 見所はやはりその装飾性にあり、向拝の手鋏や木鼻は極彩色による獅子や鳥獣に草花等の彫刻で埋め尽くされ、本殿や拝殿の外周にある蟇股は全て龍・虎・亀・雉・孔雀等の霊獣類の彫刻で構成されます。但し何れも長押より上にあり、壁面には板絵があるだけで彫刻や金箔・飾り金具等は無く、日光よりも久能山に近い内容です。日光の雛型と言うよりは、久能山のコピーと言ったところなのでは?

 

 

 内部も同様に極彩色の彫刻が散りばめられていますが、外観と異なるのは一面に黒漆が塗られており、柱や壁面には金箔も使われて、荘重性を重視したコントラストの強い重厚な空間に仕上がっています。天井は折上小組格天井で、拝殿の壁面には舞楽図の彩色画があります。

 

  

 石の間は階段状で下に落ち、対面する本殿を仰ぎ見る構造で、黒漆に鈍く光る本殿神棚の金箔が印象的。霊廟建築ですから外観は非常に派手でも、内部には荘厳な気配が漂っています。

 



 「日吉東照宮」
  〒520-0113 滋賀県大津市坂本4-2-12
  電話番号 077-578-0009
  拝観時間 昇殿は日曜祝日 AM10:00〜PM4:00 平日土曜は唐門と社殿は閉じている