広瀬家住宅 (ひろせけじゅうたく) 重要文化財



 京都の哲学の道近くに泉屋博古館(せんおくはくこかん)という美術館があります。住友財閥の住友家の美術品を公開している美術館で、泉屋は住友家の屋号。この美術館のコレクションの中心となっているのは古代中国の青銅器で、銅に所縁の深い住友家が代々蒐集してきました。住友財閥は銅により財を成したコンツェルンで、江戸初期に伊予の別子で鉱脈を発見し採掘を始め、世界でも最大規模と呼ばれたこの銅山で莫大な収益を上げ、今に至る住友グループの基盤を築きました。別子銅山は1973年(昭和48年)に閉山しましたが、跡地はマイントピア別子として坑内見学のテーマパークとして営業中。その別子銅山で支配人として辣腕を揮い、住友財閥の初代支配人となった広瀬宰平の邸宅跡が新居浜市内の高台にあり、記念館も併設されて合わせて公開されています。

 

 広瀬宰平は江戸後期に近江の国に生まれ、天保期に9歳でこの別子へ丁稚奉公に上がり、以後着実に昇進し幕末の慶応元年に支配人に就任、1877年(明治10年)に住友家総理事に就き財閥の頂点にたった人物。苦労人だったせいか逆境に強く、維新後の動乱期に銅山の接収・売却から守り、ダイナマイトや鉱山鉄道や外国人指導者を導入して近代化を成功させ、住友化学を作って別子のある新居浜を四国唯一の工業地にした人でもあります。総理事に就任した1877年に邸宅をこの新居浜の久保田地区に造りましたが、付近の土地経営を進める為に10年後の1887年(明治20年)に山側へ4km入った当地へ建物ごと引っ越してきました。別子は四国山地の山懐に抱かれた僻地ですが、この広瀬邸が引っ越してきた上原地区はその四国山地の山裾に位置し、別子の入り口にあたる場所。広い敷地に移築した母家、新築した新座敷に離れ・茶室や土蔵・米蔵・金物蔵・乾蔵等を並べた破格の豪邸で、その殆どが国の重要文化財の指定を受けています。別子に近い東側に作られた表門を潜ると、真っ直ぐに伸びた石畳の奥に二階建ての母家が見えています。
 移築した母家は1877年(明治10年)に竣工された建坪が130坪程の木造二階建てで、屋根が入母屋造りの桟瓦葺に、銅板の庇が取り回す構成。屋根に避雷針が敷設してあるあたりは、明治期の近代建築ならでは。

 

 

 正面の玄関を入ると座敷が奥へ連なり、一番奥の台所まで見渡せる構成で、主人の性格を反映したものだとか。台所からは玄関へは段が上がる造りになています。
 玄関の土間からは座敷に沿って奥まで土間が続き、台所の奥の広い調理場へそのまま連なります。この調理場は当地に移築してからの新築で、天井は高く天窓が開けられた明るい空間。広い空間を作る為に巨木を咬ました力強い梁組みが見られます。

  

 

 台所の隣には6畳の居間があり、主人の宰平の常駐所だった部屋。寒がりだった主人用に、当時としては珍しいマントルピースや天窓があり、掘り炬燵まであります。たしかに冬は寒い場所で雪も珍しくないから致し方ないかも。玄関から台所まで見渡せる位置にあり、障子にも雪見風にガラスが入っているので、従業員の監視にはうってつけ。この居間の隣に2階へ上がる階段室があります。

  

 玄関から台所方面へ向かわずに、庭沿いに進むと本座敷。客人を迎える座敷ですが正統的な書院造ではなく、長押を打たず竹を多く使った軽快な数寄屋風の意匠。

 

 2階は座敷が4部屋並び、特に北東隅にある10畳の部屋は「望煙楼」と名付けられた部屋で、主人自ら詠んだ漢詩に因んだ命名。移築前は別子銅山を眺める為に南面・東面が開放されていましたが、移築後は瀬戸内海の眺望を楽しむ為に北面と東面に窓を開ける形に改造されています。数奇屋風の床の間や山水画の襖とは裏腹に、縁側の洋風の手摺や洋式便所が設置される等、和洋折衷の明治初期らしい意匠です。

 

 

 1階の本座敷縁側からは渡り廊下が延びて、新座敷へ連なります。別子銅山開抗200年祭(1890年)用の接待館として、引っ越し後の1889年(明治22年)に建造された木造平屋建ての純和風建築で、屋根は寄棟造りの桟瓦葺で庇に銅板が取り付く構成。住友財閥出入りの大工棟梁だった八木甚兵衛の手によるもので、八木の作品としては最古のもの。上品な数寄屋風の設えとなっています。

 

 内部も15畳の座敷と10畳の次の間の三方に内縁を廻し、棹縁天井に琵琶床を設け、凝った意匠の欄間や釘隠しを配した数寄屋風の意匠を取り込んだグレードの高い空間。住友家の当主が当地に赴いた祭の寝泊りする為の部屋だったようで、総理大臣だった松方正義や、川崎造船の川崎正蔵も逗留したとか。VIP向けの迎賓館だったようです。

 

 

 この座敷の裏には三畳台目の茶室もあります。住友家は茶道にも造詣が高かったようで、泉屋博古館にも茶道具の名品が数多くコレクションされています。
 新座敷からさらに渡り廊下で今度は湯殿。VIP向けらしく総檜風呂のリッチな造りです。

  

 この他に離れや西座敷もありますが、残念ながら非公開。近代和風住宅建築としては全国でも屈指のもので、海を遠くに望む望煙楼と、眼前に池泉回遊式の庭園が広がる新座敷が最大の見所。その庭園には草庵風茶室の指月庵と、池に臨む東屋の潺々亭もあり、付属施設も驚くほど充実しています。財閥の支配人ともなるとスケールが違うと言ったところでしょうか。

 



 「広瀬歴史記念館」
   〒792-0046 愛媛県新居浜市上原2-10-42
   電話番号 0897-40-6333
   FAX番号 0897-40-6334
   開館時間 AM9:30〜PM5:30
   休館日 月曜日 12月29日〜1月3日