羽室家住宅 (はむろけじゅうたく) 登録有形文化財



 阪急宝塚線は当初から、宅地開発を織り込み済みで敷設された鉄道で、狸や狐が遊ぶ辺鄙な農村を安値で買い叩き、中産階級向けの庭付き一戸建ての小洒落た住宅を駅周辺に造成して、鉄道事業と不動産事業両方で収益を上げるシステムが図られた路線です。まあ昨今では特に珍しくもない手法ですけれど、これを明治期に始めたのが画期的で、元々は三井の銀行マンだった経営者小林一三らしいアイデアですけれどね。
 この宝塚線沿線の宅地開発には、ロンドン郊外の優雅な田園生活を標榜した感があり、例えば箕面市にある桜ケ丘住宅改造博覧会は生垣に瀟洒な洋館が建ち並ぶ美しい町並みが見られ、池田や岡町にも景観の優れた風致地区が形成されています。元来が文学青年でロマンチストだった小林一三の理念が反映されているのでしょうし、そういえば東京の田園調布の設立にも関わっていますしね。
 梅田から各駅停車に乗って13分で着く曽根駅も同様に郊外の閑静な住宅地として開発された町で、駅から歩いて10分程の距離に羽室家住宅という戦前に建てられた御屋敷があります。当時の小林一三が謳う「田園的趣味ある生活」がどのようなものであったのかが伺える物件ということにもなります。

 

 この物件の施主は住友化学工業の役員だった羽室廣一氏で、個人の邸宅として1937年(昭和12年)に建造されています。元々この土地には中世に原田城という城館があり、戦国期の慶長年間に廃城された城址で、近世からは土塁と堀だけが残された里山の一部だったようなのですが、宝塚線の沿線開発に伴って1935年(昭和10年)に松籟園住宅地として分譲され、施主が土地を購入し邸宅を構えたものです。その為敷地の南側の庭は小高い築山になっていおり、この城跡の風景を楽しむ為に邸宅が構えられたとかで、敷地はさながら森の様に鬱蒼としており、このあたりも田園的生活ということなのでしょうかね?
 主屋は屋根が切妻造りの桟瓦葺による木造二階建てで、庭の築山に沿うように西から東へ洋間・和室・離れが雁行型に配置されています。特に玄関のある西側はモルタル塗り大壁造りやサンルームが付くなど完全にモダンな洋風建築ですが、東へ進むほどに段々とその傾向は薄まっていき、一番東にある離れはもう完全に数寄屋風の近代和風住宅建築に変身しています。いずれも庭の築山の眺めに配慮して窓が大きいです。

 

 

 玄関ホールとその南にある応接間は洋風建築で、当時流行の文化住宅のようなものでしょうか。モダニズムの傾向が強いようで、サンルームから直接出入り可能な広い開口部が特徴です。天井の鋸目の梁と床の矢筈貼りは共通する意匠で、これは階段室の天井にある網代と呼応しており、またサンルームや窓の桟、丸窓、暖炉、照明器具などには当時流行のアールデコの影響が見られます。

 

 

  

 この応接間の隣は居間として使われた部屋で(夫婦室)、八畳の和室が二間と四畳の小間が並ぶ構成となり、襖を取っ払うとトータル二十畳敷きの大広間としても使えます。応接間側の壁面に床の間があり、皮付き丸太の床柱に下地窓が開くなど数寄屋風の意匠が見られる書院造りの座敷です。南側を走る廊下は掛け込み天井となり、全面に窓ガラスが嵌められたとても採光の良い空間です。

 

  

 廊下を矩折りに進むと、こちらも八畳二間の離れ座敷へ。ここはさらに数寄屋風の意匠が強くなり、炉も切られて茶室の空間となります。施主の両親の為に造らせた座敷ですから高齢者向けに一番南側にあり、廊下の南側と西側は全面ガラス張りとなり、とても開放的な空間です。廊下の天井は屋久杉の一枚板。

 

 

 和室の北側に食堂と台所が隣接しており、こちらも応接間と同様にモダニズムの影響が感じられる洋間。暖炉や食器棚、ガス灯、窓の桟といった箇所にアールデコ調のデザインが見られます。食堂の奥は増築された部屋。

 

 

 玄関ホールの北側には土蔵があり、内部には昭和初期のラジオ・旅行鞄や冷蔵庫など今となっては貴重な往時の生活用品調度品が置かれています。市に寄贈された際に家主がそのまま残していったもの。
 主屋・土蔵・納屋が国登録有形文化財。

 



 「旧羽室家住宅」
  〒561-0801 大阪府豊中市曾根西町4-4-15
  電話番号 06-6841-3735
  開館時間 土・日曜日 PM0:00〜4:00