白山神社能舞台 (はくさんじんじゃのうぶたい) 重要文化財



 奥州平泉の中尊寺は小高い丘の上に広がる鬱蒼とした杉木立に囲まれ、そこは東北の寺院らしく周囲の自然と渾然一体とした佇まいで、深々とした森の中に諸堂が点在しています。特に中核となる国宝金色堂の周辺には国重文クラスの貴重な建造物が並んでおり、金色堂の少し離れて後方に大長寿院経蔵が、そして金色堂の旧覆堂が続いて並び、さらにポツンと離れて白山神社の能舞台が建てられてあります。この白山神社だけは参拝者の巡回ルートからは外れているために観光客は比較的少なく、森閑の中で整然と立ち並ぶ美しい杉並木のプロムナードが出迎えてくれます。

 

 

 当地に白山神社がいつ建立されたのは明白ではなく、平安後期には既に存在していたとか。金色堂の北北東の方角に位置するので、風水における鬼門の方向から地鎮用として祀られたのかもしれません。また北極星の方向でもあるので北辰信仰もあるのかも。境内はそう広くはなく、奥に小さな社殿がある以外は大半の敷地を規模の大きな能舞台が占めています。能舞台が登場するのは戦国期のことで、伊達政宗が巡歴した際の命により僧侶による神事能が行われことになり、以後寺でも重要な行事として続けられています。ということでとても格調高い正統的な能楽堂が建てられたというわけで、京や江戸から遠く離れた土地ながら当地における往時の文化面の高さを感じさせる遺構です。

 

 でも当時の能楽堂がそのまま残されているわけではなく、どうも江戸後期の嘉永年間に火災があったようで、社殿と共に1853年(嘉永六年)に再建されたもの。舞台と楽屋が一体化した東西に長い建物で、西側に舞台、東側に楽屋が並び、舞台の後座から北東方向に橋掛が延ばされて鏡の間に接続する構成となり、橋掛の裏側に通路があって鏡の間と楽屋が繋がっています。一般的な能舞台は単独して建てられますがここでは楽屋と合体した細長い建物となっている点に大きな特徴があり、社殿の前面にあるので拝殿としての長床の意味合いもあるのでしょうかね?北辰信仰絡みで見ると北斗七星の配置にも由縁しているのかも。

 

 その一体化した舞台と楽屋は屋根が入母屋造りの茅葺で、大きさは桁行14.9m奥行5.9m。舞台は5.9m四方の広さを持ち、その四隅に土台上へ角柱を立て、桁を渡しさらに一軒疎垂木で重厚な茅葺屋根を支えます。舞台はお客様にお見せするステージとなるのでシンプルでありながら格式の高い装飾が施されており、例えば正面の妻飾り部には木連格子に鏑懸魚を付け、周囲に高欄を取り廻し、化粧屋根裏天井や中備には蟇股が付けられてあります。素朴ですけれどとても正統的で端正な意匠。

 

 

 

 奥の鏡板に老松の絵と若竹の絵が描かれていますがこれは戦後のもので、当初から何も描かれていなかったとのこと。この若竹の絵の裏手に楽屋との出入り用に切戸口が開けられています。このあたりも独自の構造で、演目によって使われるのでしょう。因みに床下には音響用の大甕は置かれず、擂り鉢状に地面を掘り下げています。

 

 橋掛は桁行9.8m奥行5mの大きさで、屋根は両下造りの鉄板葺。奥行の半分の位置に板壁を張り、西側に高欄付の橋掛が通り、東側に吹き放しの土間廊下が走って楽屋と鏡の間の連絡通路となります。観客からは板壁で隠れて見えないわけですね。鏡の間は桁行8.9m奥行3.9mの大きさで、屋根が西面入母屋造り東面寄棟造りの茅葺。内部は天井や間仕切りのない一室のみ。舞台&楽屋を長床の拝殿とさせて見た場合、目立たなくさせる意味合いで規模の小さな建物にする必要性があったからでしょう。

 



 「中尊寺」
  〒029-4195 岩手県平泉町衣関202
  電話番号 0191-46-2211
  拝観時間 3月〜11月3日 AM8:30〜PM5:00
         11月4日〜2月 AM8:30〜PM4:30