元庵 (げんあん)



 国宝茶室「如庵」のある有楽苑には他にも茶室が二つほど作られており、そのうちの「元庵」は織田有楽斎が大坂の天満屋敷に設けた茶室を復元したものです。1972年(昭和四十七年)に名古屋鉄道が三井家から如庵と旧正伝院書院を購入して犬山ホテルの敷地内に移築した際に、その移築作業に携わった堀口捨巳博士が古図に基づいて苑内に復元させたもので、如庵と旧正伝院書院の背後に隠れるようにひっそりと建てられています。露地も造られていますが、これは復元されたものではありません。

  

 織田有楽斎は信長の弟という地位から大坂の天満橋界隈に大豪邸を構えたようで、そこに作られたのがこの茶室の原型。有楽斎没後に敷地は大坂天満東照宮となり、茶室はその塔頭の九昌院に移されましたが度重なる火災で焼失し、最終的には明治期に造幣局と変わってしまい靴脱石以外には何も残されていません。ここに復元された茶室はその九昌院当時の姿ですが、古図によって様々なパターンが存在している為に、間取りの構成や細部の仕様は少し異なっています。ちなみにこの茶室の名も本来は「如庵」で、国宝に指定されている「如庵」は後年の隠居所であることに対し古い茶室ということで「元庵」と命名されています。
 

 

 天満屋敷は慶長年間ですから1600年前後のこと。後年の如庵が元和年間ですから20年ほど遡ることになります。外観は屋根が切妻造りの銅板葺で、妻側の軒下に二段の銅板葺による低い庇が取り付く姿。向かって右側の庇の下に躙口が開けられその奥に三畳台目の小間が、左側の庇の下には濡縁が走りその奥に六畳の広間と四畳の鞘の間が並びます。小間の躙口が中央に開けられているのは珍しく、後年の武家茶人である片桐石州や小堀遠州の作品に見られる手法です。その躙口の上には連子窓が開き、その横手の右側の壁に同じ高さで連子窓が二連続くのも、石州が作った奈良大和小泉の慈光院の茶室と似ています。石州が参考にしたのでしょうかね?

 

  

 内部は奥へと直列に三畳台目畳が並び、最奥正面に床が取り付く亭主床という異色の平面構成。この亭主床も慈光院茶室と共通しています。点前座には竹の中柱が立ち、やはり竹の壁留で支えた袖壁に下地窓が開いており、直線的な竹と言う素材や下地窓の格子などの曲線の無い幾何学的な構成は、同じ有楽斎好みの横浜三渓園内に移築された春草蘆とも共通しています。洞庫が風炉先にあるのも異色。

 

 この茶室の一番のユニークな点は、鞘の間との間に大きな火灯口が開けられているところ。本来は給仕口で普通は小さな襖が入るところなのでしょうが、畳一畳半分の大きな火灯口が入ることによって、開放時は隣の鞘の間までを一室とする広間型の茶室としても使えます。この鞘の間は相伴席としても使われたのでしょうね。間取りが縦型の三畳半台目という特異な平面も、この鞘の間の四畳を合わせると正方形に近い七畳半台目と変わるので、使う用途によって広さが変更できるフレキシブルな茶室を目指したのかもしれません。求道的で静謐な意匠が多い師匠の利休とは異なり、様々な手法を次々と生み出して茶室空間の可能性を拡げていった、実験的で斬新な意匠の多い有楽斎ならではの茶室。

 



 「有楽苑」
  〒484-0081 愛知県犬山市御門先1番地
   電話番号 0568-61-4608
   開苑時間 3月〜11月 AM9:00〜PM5:00
          12月〜2月 AM9:00〜PM4:00
   休苑日 無