月華殿 (げっかでん) 重要文化財



 横浜の三渓園はまことに不思議なところで、海辺の森の中に開かれた庭園なのに海に近づけば近づくほど山深くなるというアンビバレントな場所。特に内苑の一番奥まった聴秋閣から天授院あたりにかけては深山幽谷の趣を成しており、とてもこの山の向こうに東京湾が広がっているとは想像できません。この内苑は原三渓のプライベートエリアでしたから、居宅である白雲邸からも遠いこのあたり一帯は三渓のよりインティメートな部分が反映されているようで、最奥に原家の持仏堂である天授院が移築され、三渓の造った静謐な茶室である金毛窟があることから見ても、このような森深い寂然とした環境を作り出したかったのかもしれません。この二つの建物と並ぶように、月華殿という小規模な書院が移築されています。

 

 この建物は京都の宇治にある三室戸寺の金蔵院にあった客殿で、三渓園へは1918年(大正7年)に移築されました。元々は徳川家康が再建した伏見城の大名伺侯の際の控え所だったものを、伏見城取り壊しの際に宇治の茶匠上林家へ拝領され、それが金蔵院へ寄贈されたという由来がありますが確証はありません。この三渓園へは同時に春草蘆と名付けられた茶室と共に購入されています。桃山期の1603年(慶長8年)に建造されており、木造平屋建てで外観は屋根が入母家造の檜皮葺。国の重要文化財に指定されています。

 

 檜皮葺の屋根の下に深い柿葺の庇を付けた軽快なプロポーションで、縁側の高欄や木割の細い柱や長押など、書院造というよりは数寄屋造の建物に近く、華奢で繊細な印象を与えています。江戸初期に小堀遠州が出現して、数寄屋と書院の融合した建物を数多く造りましたが、それ以前の桃山期に書院造に数寄屋の意匠が導入され始めた時期の建物とうことになります。またこの建物は見晴らしの良い崖上に清水寺のように懸造で移築されており、このあたりは三渓一流のアレンジとも言えるもので、軽快で華奢な外観が懸造に程好くマッチし、この位置から見ると正面にやはり移築されている旧燈明寺三重塔が望め、さらに月が塔にかかる位置までも計算されているとかで、月見の為にここまで手の込んだ細工をするほど、昔の御大尽達のお遊びはスケールがでかいということが言えます。以前はここまで白雲邸・臨春閣と渡り廊下で数珠繋ぎに結ばれており、一番奥にあたるこの建物は森の中の瀟洒な離れとなっていたようで、ここで月見酒と洒落こんでいたのかもしれませんね。

  

  

 内部は12畳半の「桧扇の間」と15畳の「竹の間」の二部屋だけで、「桧扇の間」には床がありますが付書院や違い棚の無いシンプルな意匠で、「竹の間」になると何もありません。この「桧扇の間」・「竹の間」にはそれぞれ桃山期を代表する絵師海北友松の手による「桧扇図」・「竹図」の襖絵・障壁画が描かれており、欄間には同じく桃山期の狩野永徳が下絵を書いたとされる菊の透かし彫りが入っています。双方ともに本人の作品である可能性には疑いがあり、伏見城の遺構であるという伝来から弾き出されたエピソードの一つとして認識したほうが良さそうです。

 

 



 「三渓園」
  
〒231-0824 神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1
  電話番号 045-621-0364・045-621-0365
  FAX番号 045-621-6343
  開園時間 AM9:00〜PM5:00 (入園はPM4:30まで)
  休園日 12月29・30・31日