元興寺極楽坊 (がんこうじごくらくぼう) 国宝



 国内の最古の寺は飛鳥地方に造られた法興寺(飛鳥寺)で、蘇我馬子が建立した大規模な寺院でした。当時としては最先端の技術が大陸より導入された頃で、瓦が初めて葺かれたのもこの時から。その後平城京遷都に伴い移転、元興寺と名前を変えて大伽藍を構える大寺院として隆盛を極めていましたが、室町期や江戸期に相次いで消失し、今は塔の礎石や僧坊を残すのみ。現在奈良町として格子造りの町屋の風情を残す街並は、元々は元興寺の境内だった場所で、街中に溶け込むように僧坊だった極楽坊が建てられています。
 奈良期の高僧だった智光が、浄土思想の研究を図ったこの僧坊が鎌倉期に極楽坊と呼ばれるようになったもので、浄土信仰の強い庶民階層に支持された寺でした。そのせいか歴史が古く由緒正しきお寺なのですが、寺特有の厳しい雰囲気が薄いのは、周囲の下町的な環境と融合しているのと、萩や柑橘類の樹木などの花々が柔らかい印象を付与しているせいでしょうか。今でも庶民的な色彩が強く感じられます。

 

 

 境内は本堂と禅室の二つの建物があり共に国宝に指定されています。元は一つの僧坊として建造されましたが、鎌倉期の1244年(寛元2年)に分離独立させて、それぞれ改築したものが現在ある姿。本堂は桁行6間奥行6間の寄棟造りで屋根は本瓦葺き、瓦の一部に飛鳥より持ち込まれた最古の物も葺かれています。この瓦には百済から呼ばれた瓦博士直伝の、丸瓦を重ねて葺く手法が採用されていて、この葺き方は「行基葺き」と呼ばれています。コントラストある色合いが点画のように美しく映えています。

 

 内部は中央に板敷きの内陣があり、その周りを畳敷きの外陣が取り囲む構成で、内陣は智光の遺した曼荼羅を祀る場になっています。この内陣の周りを時計回りに念仏を唱えて回るのが教理のようです。鎌倉期に改造された建物ですが、内陣周りの太い角柱や天井板には奈良期の部材も使われているようです。
 意匠の大部としては奈良期の和様建築なのですが、細部の例えば木鼻や桟唐戸などに鎌倉期の大仏様が採用されていることから、新和様のスタイルとなっています。鎌倉初期は大仏様が東大寺南大門などに採用された頃なのですが、その後は大仏様自体は廃れてしまい、その意匠の一部が周辺の寺院に採用されていったもので、その時の工事に携わった工匠が興福寺や唐招提寺などの造営に係わり、この元興寺もそれに倣ったものです。

 

 

 本堂の西側に禅室があります。本堂と同じ建物を鎌倉期に分離したもので、当初は十二房あったものが西側の四房だけ残ったものです。外観は桁行4間奥行4間の屋根が切妻造りで、本堂同様に柱組物や桟唐戸・木鼻などに大仏様が混じった意匠です。また屋根に本堂と同じく一部飛鳥時代の行基瓦が使われています。

 

 



 「元興寺極楽坊」
   〒630-8392 奈良県奈良市中院町11
   電話番号 0742-23-1377
   FAX番号 0742-23-1378
   拝観時間 AM9:00〜PM5:00
   拝観休止日 12月29日〜1月4日