ファーレ立川 (ファーレたちかわ)



 その昔の立川と言えば、多摩地区屈指のデンジャラスゾーンとして近隣住民からは恐れられていた、アブノーマルシティでした。元々立川飛行場があることから軍隊がらみのささくれた町だったのですが、戦後は飛行場が米軍の基地になり朝鮮戦争の出撃地となったことから、殺気立った米兵達が町に繰り出して大暴れ、その米兵相手の白線・黒線のパンパンが入り浸る売春窟が立ち並び、砂川闘争などもあって左翼の連中も集まっちゃう、非合法の無法地帯の様相をなしていました。さらには族社会では泣く子も黙る立川地獄(ゲッツ板谷が元総長)が、八王子スペクターや東大和ブラックエンペラーと血で血を洗う抗争を展開し、立川の道路が血で真っ赤に染まったと言われるほど、ヤクザでヤバイ町でした。そんなマッドシティ立川も米軍が基地を返還し、暴走族の連中も道路交通法の改正や構成員の高齢化によって著しくパワーダウンして、今では借りてきた猫の様にすっかりおとなしくなって、小市民的な町に姿を変えています。
 その立川基地が返還された跡地をどうするかということで色々とすったもんだがあり、半分を防災用の飛行場、もう半分を国営の昭和記念公園にし、駅周辺の5.9ha(全体の約90分の1)を再開発して商業地域にするということになり、オフィスビルやホテル・シネコン等の施設が色々と出来たのですが、飛行場に隣接していることから航空法により高さ53mという制約が設けられてしまい、どのビルも容積率一杯というギッチギッチの建物が並ぶ、公園や広場等のゆとりのない無味乾燥した街並が出来てしまいました。立川市は基地の町というダークなイメージを払拭したかったらしく、アートでおしゃれな町にするという無理無体な方針から、このウルトラタイトな街並にパブリックアートを林立させ、近未来的でコジャレタ町への変換を図ったのが、1992年(平成4年)のこと。1994年末に完成したこの町は、イタリア語の「創造する」を意味するFAREに立川の頭文字Tを付けてFARETと綴って「ファーレ立川」と名付けられ、世界36ヶ国の92人のアーティストによる109点の作品が点在しており、下手な美術館へ行くよりも無料で質量共に優れたコンテンポラリーアートに浸れます。

 

 このファーレ立川のアートディレクターを担当したのは、ギャラリストとしても活躍していた北川フラム氏。ソフト帽にスーツ姿と半世紀前の英国紳士風の出で立ちの氏は、このファーレ立川を森と見立てて、この森の中に迷い込んでオリエンテーリングしながら探検し、世界各国の作品に触れたり座ったりしながら、個人と世界とのつながりを見つけられる場所を造る、という方針でアートディレクションしたとか。設立当時はかなり話題になり、東京国際フォーラムや新宿アイランドといったパブリックアートの先鞭をつけた場所です。作品はあらゆる場所に様々なタイプとして隠れており、見学者はアートのジャングルの中で迷いながらハンティングに勤しんで探検を楽しみます。そのスタートとして打ってつけなのがランドマーク的な存在の真っ赤な植木鉢。フランスのジャン=ピエール・レイノーの作品で、下の白いタイルも作品の一部。全体で庭を表現しているそうでまるでガリバーですが、自然への関心を忘れないようにしようというメッセージもあるそうです。

 

 この植木鉢のあるゾーンは駐輪場でもあり、その駐輪場の表示灯も作品の一つ。アメリカのロバート・ラウシェンバーグによる「自転車もどきVI」という作品で、既にあった作品を譲り受けたものだとか。その駐輪場には不思議な形状のベンチが置かれており、互いに逆方向を向いての隣り合わせというユニークな造り。フランスのニキ・ド・サンファルによる「会話」という作品で、子供の喜びそうなアニメチックな蛇のオブジェが付いた楽しい作品です。

 

 そのベンチの前には14体の人物像が記念写真の様に並んで置かれています。ナイジェリアのサンデー・ジャック・アクパンの作品で、ナイジェリアの首長が民族衣装を身に纏って一様に立ち並んだもの。このファーレ立川では人物像はこの作品だけで、非現実的なオブジェが多い中では一番温もりが感じられます。

 

 このゾーンでは高島屋の入り口前に、怖い顔でこちらを睨みつけてる馬鹿デカイ女性の看板があります。白井美穂の作品によるもので、ピカソ風の絵の前に立ち、こちらに向かってハサミを持った手をひろげている女性の写真は、オノヨーコ風のラジカルなフェミニズムに沿った作品。この背面に階段を降りてくる女性の写真も展示されていて、地下駐車場の入口の上にあるので、表示する意味合いもあるのですが、別の場所の階段の下にバーベルを持った黒衣の女性が坂を登る写真パネルもあり、やはりフェミニズム色の強い作品群です。

 

 このファーレ立川はペデストリアンデッキと呼ばれる空中回廊があり、その昇降口に不思議な黒い線がのたくって描かれています。この黒い線はある地点に立つとひとつの黒い円に見えるという騙し絵的な作品で、スイス生まれ・パリ在住の美術家、フェリーチェ・ヴァリーニによるもの。円に見えるポイント探しが面白い作品で、2ヶ所ほど設置されています。

 

 図書館や総合女性センターの入っているセンタースクエアと、コアシティ立川との建物の間に地下駐車場の出入り口があり、その囲われた車路壁に文字が刻まれた石板が2段取付けられています。コンセプチュルアートの代名詞的存在のアメリカのジョゼフ・コスースによる作品で、「呪文、ノエマのために」という謎めいたタイトルが付けられています。水俣病を題材にした小説で知られる石牟礼道子氏の「椿の海の記」からの一説と、20世紀を代表するモダニズム文学の作家である、アイルランドのジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」と並ぶ代表作「若き芸術家の肖像」の日本語訳の一説が彫り込まれています。この二人の孤高の異端作家を選ぶ点は、コスースらしいのかもしれません。

 

 西側は「都市軸」と言う名の広い街路となり、その中心をモノレールが貫いています。ユダヤ人アーティストのダニ・カラヴァンが設計したパリ郊外のセルジー・ポントワースにおける「大都市軸」を髣髴とさせますが、このモノレールの車窓からも色々と作品が楽しめます

 

 パレスホテルの西側にはデジタル・インジケーターが144個も搭載された高い灰色の鉄塔があります。ヴェネチアビエンナーレで高い評価を得た宮島達男の作品で、インジケーターを使うのは得意のパターン。昼はただ数字が浮かんでいるだけですが夜になると数字を点灯して、かなり印象的な光景になります。この作品の北側には、大きな男の黒い立像があります。アメリカのジョナサン・ボロフスキーの作品で、どことなくマグリットの絵画も髣髴とさせます

 

 損保ジャパンビルの北側に細い歩道があり、その脇の植栽内にも色々と作品が置かれています。ユニークな形状の石と鉄で出来たベンチがあり、チェコのアレシュ・ヴェゼリーの手による「ダブルベンチ」と言う名の作品。確かにカップル向けのベンチというところでしょうか。その西側には鉄で出来た赤褐色の山があり、これはインド出身のアニッシュ・カプーアの作品で、その名もズバリ「山」。インドというとこの山の連なりはヒマラヤを表したものなのでしょうか?

 

 センタースクエアの東側に異様に大きな白い買い物かごがあります。シンガポールのタン・ダ・ウの作品で、「最後の買い物」という意味深なタイトル。実はこの作品は排気口になっており、これ以外にもカムフラージュする作品が幾つかあります。パレスホテルの南側にも排気口を隠すように行き止まりの階段が置かれています。これはイギリスのリチャード・ウィルソンの手によるもので、一頃流行ったトマソン物件のような作品です。

 

 車止めにも色々と面白い作品が採用されていて、ブルガリアの彫刻家ゲオルギー・チャプカノフは動物をモチーフとして3点の作品を制作し、それぞれ犬・馬・羊を模ったオブジェが設置されています。また彫刻家の西雅秋は、転がった大木をイメージしたブロンズの作品を設置しています。

 

 コアシティ立川ビルの東側にも変った車止めがあり、スパッと縦に輪切りにされたFRP(強化プラスチック)の自動車が設置されています。アメリカのヴィト・アコンチによるもので、車社会へのアンチテーゼのような作品。また北口第一駐車場の西側の歩道には、椅子・スリッパ・本・人の影で構成された不思議な車止めがあり、これはイラン生まれ・オーストラリア在住の芸術家のホセイン・ヴァラマネシュによるもの。人の痕跡だけが残された作品で、核の脅威を表現したもの。これらの作品群も10年以上の月日が経ち、色々と損壊したり劣化が目立つようになって来ており、屋外設置がパブリックアートの宿命なのでいたしかたないものなのですが、市が再生プロジェクトを立ち上げて修復作業に当たられているようで、街全体を美術館とする当初のコンセプトはまだ守られているようです。

 



 「ファーレ立川」
   東京都立川市曙町2丁目8及び35〜41番
   電話番号 042-535-1396 ファーレ倶楽部