大覚寺 (だいかくじ) 重要文化財



 嵯峨野でも一番北の奥まった場所に位置する大覚寺は、その昔は「嵯峨院」と呼ばれる皇室の離宮として開かれたもので、北嵯峨のなだらかな山裾に広がる風光明媚な環境がやんごとなき方々にいたく愛されたのでしょう、このあたり陵墓が多い場所でもあります。平安初期の876年(貞観18年)に、嵯峨天皇の別荘を没後に内親王が仏寺化したのがその由来で、以後歴代の天皇が出家して法皇となり、住持して院政を行ったことから「嵯峨御所」とも呼ばれた格式の高い門跡寺院です。その歴史からも頷けるとおりにあまり抹香臭さは無く、華やいだ王朝風の趣があり、築地塀に掘割と石橋が架かる風景は瀟洒な御屋敷に訪問しているようで、特に映画やTVでの時代劇のロケが多いことでも知られています。

 

 当初から空海に由縁が深かったそうで、今でも真言宗の寺院となっています。応仁の乱で何もかもが灰に帰してしまった為に、今見る伽藍は桃山期以降に建造されたもの。皇室と関係が深く、また御所とも呼ばれていたことからもその構成は他の寺院と大きく異なり、宸殿・寝殿といったまさしく御所の陣容です。特に宸殿とその隣の式台玄関は、後水尾上皇の正室だった東福門院和子の女御御所を移築したもので、大門を潜って正面に見えるその式台玄関は、唐破風屋根を戴く重厚な大型建築。内部は松の図案による金碧の障壁画がゴージャスに彩る「松の間」と呼ばれる広間でお出迎えします。

 

 渡り廊下で繋がる宸殿は、1619年(元和5年)に建造された女御御所のうち御殿だった建物で、後水尾上皇が寛永期の内裏造営の際に仮御殿として使用し、その後本殿完成後の延宝年間(1673年〜1681年)にこの大覚寺へ下賜されました。檜皮葺の大きな屋根が美しいこの寝殿造りの建物は、大きさが桁行20m奥行13.6mで、国の重要文化財に指定されています。

 

 元々女御御所の御殿だった建物なので木割は細く繊細な造りとなり、広縁に高欄を付けて蔀戸を吊り舟肘木で軒を支える王朝風の外観。細部では蔀戸の黒漆に映える装飾性の強い金具や襖の引き手等に凝った意匠が施されており、琳派の尾形光琳の実家である呉服商雁金屋のパトロンだった東福門院和子のセンスが、その後の琳派に受け継がれているのかもしれません。

 

  

 内部には京狩野の代表的絵師だった狩野山楽の襖絵が各部屋に描かれており、特に「牡丹図」や「紅白梅図」は永徳譲りのスケールの大きい画風ながら細部には知的でクールな表現が見られる山楽の代表作で、国の重要文化財に指定されています。今はレプリカが嵌っており、宝物館で収蔵公開されています。

 

 

 「嵯峨御所」の別名にもあるようにこの宸殿の前庭は白砂で清められており、左近の梅・右近の橘もキチンと配されていて、奥には勅使門もあるまさしく御所の景観。

 

 

 宸殿の北側に客殿である正寝殿があります。ここでは複数の建造物が全て渡り廊下で繋がっているので、このあたりの佇まいも雅な御所風です。この正寝殿は宸殿や式台玄関のように移築されたものでは無く、当初からここに建造されたもので桃山期のもの。屋根が入母屋造りの檜皮葺で、大きさは桁行が正面7間背面8間に奥行が4間あり、内部に12室もある大型の書院造りの建物です。宸殿の寝殿造りと対比して見てみるのもよいかもしれません。国重要文化財指定。

 

 この正寝殿は門跡の居室・寝室または日常接客の場で、いわゆるプライベートエリアの建物だったようです。全部で12室ある部屋の中で特筆すべき箇所として一番上手にある主室の「御冠の間」があげられ、上段に帳台構え(昔の寝床)を設えた寝室でもあるわけですが、この帳台構えには桐・竹・鳳凰の紋様を入れた黒漆の蒔絵が柱・鴨居・框を鮮やかに彩っており、「嵯峨蒔絵」と呼ばれる世に名高いもの。入室禁止で遠いので、オペラグラス持参をお薦めします。この「御冠の間」の前が対面所となり、それぞれ襖絵に因んで「竹の間」「紅葉の間」が並び、「御冠の間」の裏に「剣璽の間」が配されているので、京都御所の御常御殿を模写したような構成です。

 

 その他に「山水の間」「聖人の間」等の襖絵に因んだ部屋が並び、やはり狩野山楽や狩野派の絵師による作品。廊下の杉戸にも元禄期の琳派に連なる渡辺始興による板絵が嵌められ、さらに障子の腰板にも「野兎図」「四季花鳥図」が描かれており、何れも国の重要文化財に指定されています。宸殿と合わせて計10件に及ぶ国重要文化財の絵画が散りばめられた、ちょっとした美術館のような建物群です。

 

 

 渡り廊下で連なる御影堂の裏手に、歴代の天皇の写経が奉伺されている心経殿があります。1925年(大正14年)に建造されたコンクリート造りの建物で、設計は近代住宅建築で知られる藤井厚二。伝統的な八角円堂のフォルムに法隆寺金堂の卍崩しの高欄が取り回したとてもユニークな外観で、やはり法隆寺の夢殿がモデルのこと。同時期に梅窓院・震災記念堂・明治神宮宝物殿等のコンクリート化された伝統建築が相次いで建造されたことからわかるとおり、当時流行だった近代化伝統建築の一つです。

 

 渡り廊下伝いで御影堂・御霊殿と進むと最奥に本堂である五大堂があり、その東側に広大な大沢池が広がります。嵯峨天皇が離宮に合わせて庭湖として造営させたもので、島を浮かべ周囲を松・桜・楓を植えた、まさに絵画の様に美しい風光明媚な環境。もちろん花見や紅葉の名所でもありますが、元々この湖面に映る月を楽しむ観月用に造られているので、今でも優雅な月見の宴が行われているようです。

 



 「大覚寺」
   〒616-8411 京都府京都市右京区嵯峨大沢町4
   電話番号 075-871-0071
   拝観時間 年中無休AM9:00〜PM4:30