千代田生命本社 (ちよだせいめいほんしゃ)



 中目黒駅近くにある目黒区総合庁舎は、2000年秋に経営破綻した旧千代田生命保険の本社ビルを転用した庁舎で、ここから800m程南西の中央町にあった旧区役所庁舎を売却して購入資金に充て、色々とコンバージョンを行って2003年1月に業務開始した行政機関です。前の庁舎が戦前の古い建物で手狭になっていましたし、バブル崩壊後の金融危機により財政圧迫する中で新庁舎を建設するには区民の理解を得ることが難しく、そして何よりも昭和期を代表する高名な建築家村野藤吾の代表作の一つでもあり、戦後建築物の名作と誉れ高いこのビルを壊してしまうには忍びないということからお引っ越しして来たようです。
 ということで、区の方でもこの庁舎の魅力をもっと広く知って欲しいということからか、区の目黒美術館が毎春に数回ずつ建築ガイドツアーを開催しています。毎年参加者が増えており、とても盛況のようですね。

 

 この千代田生命本社ビルが当地に誕生したのは1966年(昭和41年)6月のことで、村野藤吾75歳の時の作品。その3年前にこれも代表作である日比谷の日生劇場が完成しており、これを見た当時の経営者が村野に直接依頼し、すべておまかせで造らせたのがこの建物です。この頃は高度経済成長がピークでしたから資金が潤沢だったのでしょう、今だと中々難しいでしょうしね。
 敷地は約1万6千uでだいたい五千坪たらず。メインとなる本館は地下3階地上6階塔屋3階の鉄骨鉄筋コンクリート造で、渡り廊下で繋がる別館は地下3階地上9階塔屋1階の鉄骨造。本館は敷地の北側に東西に長く聳え立ち、西端から前へ突き出す様に南側へ玄関ホール棟が延ばされ、それとシンメトリカルな形に東端から別館が南へ延ばされる構成で、東北日本海側に見られる民家建築の両中門造りに似ています。
 本館前には細長く池が広がりますが、実はここは谷底のようになっていて外からはその存在は知られず、内部に入ってみて初めて判るもので、建築家が巧妙に仕組んだ様々な仕掛けが随所に見られます。

 

 

 一階なのになぜ谷底のようになっているかというとその原因は当地の地形。南側を走る駒沢通りは東側の目黒川から南西方向の祐天寺・油面公園方面に向かって上り坂となっていて、東側の別館は一階に入口がありますが西側の本館玄関は三階にあり、その高低差をカバーする為に広場(現駐車場)と築山が造られ、さらにその広場自体を二階部分として本館との間に段差を造り、ここに池を造って緩衝地帯とさせたようです。広場の下には和室群が並ぶので、池のある風景も内部空間には効果的なのでしょう。

 

 外観での大きな特徴となっているのが、壁面一面に貼られたアルキャスト(アルミダイカスト)の格子。竣工当時の中目黒一帯はまだ田舎だった頃で、当ビル以外は平屋の住宅が建ち並ぶだけの私鉄沿線の住宅街であり、ここに要塞の様な巨大建造物が建つと周囲とあまりにもミスマッチとなってイメージも良くないことから、アルミニウムの持つ軽快なイメージを利用し、モンドリアン的な直線を多用したフォルムを纏って明快な近代性を持たせるという狙いがあったようです。特に表面は明るいパールグレーに塗装され、光線を浴びて輝く姿は繊細なガラス細工を見るようだったとか。
 この格子はそのまま日本建築の町家の格子造りに影響されたもので、格子によって光を反射して外観を美しく映えさせ、また適度に軽減された外光を柔らかく室内に採り込みます。和風建築に精通した村野藤吾らしい手法なのでしょう。格子の奥には大理石片(テッセラ)が張られて重厚な趣を見せ、軽快な格子との対比を見せています。

 

  

 内部は大幅に改造されているので、往時の姿が残るのは玄関ホールと階段部と和室群のみです。村野藤吾は建築家というよりもインテリアデザイナー的な性質を強く持った方で、その細部はまるで工芸品のような美しく繊細な印象を持つことが少なくないのですが、ここでもホール内部は白一色の大理石張りで構成され、天窓からは淡く優しげな光が降りそそぐ静謐な空間となり、一企業の玄関ホールというよりは教会の礼拝堂や修道院を思わせるものです。特にホール西側は枯山水を思わせる白砂が造られ、反対の東側には神殿のように林立する柱の下に薄く水を湛えた水庭が造られるなど、その凝った意匠は際立っており、内部空間では一番の見所。

 

 

 天井には8個の天窓があり、それぞれ内部には作野旦平氏によるガラスモザイクが嵌め込まれています。入口側から春夏秋冬の四季を表現しているそうで、2個ずつセットの等間隔で並びます。その姿はステンドグラスを思わせるもので、やはり礼拝堂のような雰囲気が感じられます。

 

 このホールを抜けると本館内の階段部に至るのですがこの階段がとてもユニークで、4階部から2階部へと吹き抜けの螺旋状となっており、4階から3階へ、3階から2階へのそれぞれの階段が独立していて宙に浮いています。さらに手摺も細目の優雅なものでとても華奢な印象を持ちますが、太い鉄骨を天井から吊るして噛ませてあるので、強度は保たれてあるのでしょう。優美な曲線を描くそのフォルムは裏側から見ても美しく、このあたりもインテリアデザイナー的な面が強く出ている箇所です。

 

 

  

 ところで村野藤吾といえば、吉田五十八と並ぶモダン数寄屋の名手。ここでも茶道部や句会クラブ等の社内レクリエーション用に和室群が造られており、本格的な茶室もあります。
 今は駐車場として使われている広場の下がその和室が並ぶ一画で、広場の中央にポツンと一部穴が開けられており、その穴の下に茶室の露地が広がります。キチンと石灯籠や蹲踞も備えられて露地の体裁は整えられていますが、頭上のコンクリートの屋根の張り出しがとても不思議な眺め。土庇の代わりでしょうかね。

 

 

 茶室は裏千家家元の又隠(ゆういん)の写し。四畳半台目切り上座床のオーソドックスな席で、使い勝手が良いことから全国に写しが多い茶室です。村野自身は武者小路家に師事していましたが、この千代田生命本社以外でも帝国ホテルの東光庵でも写しが見られます。
 ここでも少しユニークな意匠が見られ、まず外観の屋根材が半竹状の鋼材を並べたものが使われており、内部でも天井に籐が編まれて蛍光灯が内部に組み込まれた光天井となっている点。先入観にとらわれず現代の工業製品を大胆に採用するあたりがとても面白いですね。

 

  

 池側には小間が二つ並びます。テラスが池に張り出す様にあるのは8畳の「しじゅうからの間」。池の眺めが良いとても明るい和室ですが、竹の節の様なデザインの障子がとても印象的で、やはりモンドリアンのデ・ステイル的な手法が感じられます。ここにも得意の光天井があります。

 

 

 隣は8畳の「しいの間」。こちらは一転して窓の少ない閉鎖的な和室で、天井も竿縁のオーソドックスなもの。和室群の中では比較的まともな座敷です。

 

 通路を挟んで反対側にあるのが34畳の大広間「はぎの間」。ここは主室と次の間の二部屋の構成で、それぞれ円窓床と洞床が備えられてあります。一つ変わっているのが柱の列が壁より前に出ていることで、構造的には弱くなると思うのですが単純に意匠として付けられた物なのでしょう。天井に十字の蛍光灯が剥き出しになっていますが、当初はアクリルが嵌っていてもっと淡い光だったとか。復元すれば良いと思うのですが。

 

 



 「目黒区総合庁舎」
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