物外軒 (ぶつがいけん) 足利市指定文化財



 足利市中心部のやや西側に織姫公民館という集会場があり、地元民向けのコミュニティスペースとして利用されているのですが、実はこの裏手に隠れるように木戸に囲まれた本格的な日本庭園と茶室があり、春秋の土日祝日のみに公開されています。表通りからは公民館のビルに遮られて気配さえも感じられませんが、狭い駐車スペースをかまわずズンズンと奥に進むと門が現れて、表通りの喧騒さが嘘のような静寂が保たれています。
 公民館の敷地含めて地元の豪商の住居兼店舗跡だった場所で、南側の建物が破却されて公民館が建ち、北側の庭園だけ残ったというわけ。楓の多い庭園で、紅葉の頃は園内が錦繍に染まります。

  

  

 この庭園の南側に茶室があります。「物外軒」と命名された茶室で、元はここにあったものではなく、同じ足利市内の渡良瀬川沿いにあった豪商萬屋の長四郎三家に明治初年に建てられたもので、1901年(明治34年)に当地へ移築されたものです。露地を進むと中潜りが現れ、その先に茶室の一部を使った待合があり、踏石で正面へと進みます。この待合は貴人口ともなっているので、ここから茶席へ向かうもよし。

  

 外観は屋根が切妻造りの銅板葺に正面前面に銅板葺の土間庇が付く構成。以前は瓦葺だったようですが、耐震性や保護の為に銅板に変更されたとか。当初は木端葺なので、その姿に復元するのが理想なのでしょうけれど。庇上に「物外軒」の扁額が掲げられています。
 長四郎三は表千家から派生した表千家不白流の家元に師事していたとかで、この物外軒もその流派に法ったもの。流祖の川上不白は表千家家元7世の高弟だった茶人で、江戸に出て千家の茶道を広めた人物。いわゆる花月楼型の茶室を造った茶人で、上段付きの広間で行う花月式の茶事を行う為の茶室「花月楼」を設計しており、その茶室は萩の松陰神社境内に移築されています。この流派には益田鈍翁や馬場恭平といった明治期の実業家達も師事しており、護国寺にある馬場恭平が造った「化生庵」はこの物外軒のコピー。

 

 

 内部は三畳台目の間取りで、深三畳の上座床の平面構成。天井は点前側が落天井で貴人口側が掛込となり、他は網代で組まれています。床は畳敷きで柱はコブシの面皮付き、床柱から中板が延ばされており、南禅寺金地院八窓の席と似た構成。床前の小壁に長四郎三直筆の「物外」の扁額が掲げられてあります。この「物外」は長四郎三の茶号。
 茶室「花月楼」は八畳敷きの広間に四畳の上段の間が並び、下座側に入側が走りその正面に床を配する構成で、この「物外軒」も茶道口奥の三畳を上段の間とすると、下座側に貴人口がありその正面に床があることから、大まかなアウトラインでは似た構成とはなります。ここでも花月式の茶事を行っていたのでしょうか?

  

 茶室の隣には平屋のこじんまりとした和風住宅建築があります。この土地は元々地元の豪商柳田家のもので、昭和期に鈴木家の所有となるので、どちらかの邸宅だったのでしょう。庭園の広がる北側が座敷となっており、ガラス戸越しに見る庭園を楽しむ為にこさえた「離れ」のような建物だったのかもしれません。現在は茶室の寄付として機能。

 

 

 敷地の北半分は池泉回遊式の庭園が広がります。築山に五重石塔や蓬莱山を造り、池に石橋を架け石灯籠を配した広々とした空間の庭園で、南側の茶室のある露地庭とは対照的。紅葉が見事な晩秋の頃がお薦めでしょう。茶室は市指定文化財、庭園は国の登録記念物(名勝地)指定。

 

 

  



 「物外軒」
   〒326-0814 栃木県足利市通6丁目3165-2
   電話番号 織姫公民館0284-21-6144
   開館時間 4・5・10・11月の土・日曜、祝日 AM9:00〜PM4:00