文翔館 (ぶんしょうかん) 重要文化財



 山形市の中心部やや北寄りに、旧山形県庁と県議事堂だった文翔館という施設があります。大正期に建造された大形近代建築群で、ここが県内における行政・司法の中心地であることの証しであるのですが、この旧県庁を正面に見て南北にメインストリートである国道112号線(羽州街道)が市内中心部を貫いており、その両側には市役所・市民病院・中央郵便局・電力会社といった公的施設が建ち並んで、この羽州街道を中心軸として碁盤の目のように街並みが形成されています。いわば文翔館を宮殿のように街全体がグランドデザインされており、京都御所を懐く京都市や善光寺の門前町である長野市に近い陣容です。但しこの山形市は東洋的な思考に基づくものではなく西洋的な手法によって造り上げられていったもので、明治初期に山形県令(県庁)に赴任した三島通庸の趣味によるもの。欧米都市の街並みをこの山形市に復元しようと試みた成果で、この県庁と県議事堂を中心に下見板張りの洋風建築を次々と建造し、東北の地に当時最も先進的な都市が登場したというわけです。三島通庸の肝入りによって建てられた洋風建築は殆どが失われ、霞城公園に移築された済生館本館だけになっていますが、焼失した県庁と県議事堂もさらにスケールアップした形に再建され、まさしく欧米の宮殿のような壮麗な姿で周囲を睥睨しています。

 

 それぞれ1916年(大正5年)に竣工されたイギリス・ルネッサンス様式による建物で、1975年(昭和50年)まで現役として使われていました。双方ともに国の重要文化財の指定を受けており、戦前の県庁と県議事堂が両方とも残るのはここと山口県だけです。設計は地元米沢市出身の中條精一郎を顧問とし、田原新之助が担当。中條精一郎は英国人建築家コンドルの孫弟子みたいな人物なので、煉瓦積みの重厚なイギリス様式建築はお手の物。

 

 東側に建つ旧県庁は、スレート屋根葺きによる煉瓦造りの三階建てで、建築面積は1800坪。戦前の公共大型建築に良くみられる横長の口型の平面を持ち、正面中央には車寄せと時計塔をのせ、中心部には広く中庭をとります。一見すると鉄筋コンクリートか石積みに見える外壁は県内産の花崗岩を嵌めてあり、重量感の高い堅牢厳格な面構えのいかにもお役所建築といったところ。細部には手の込んだ紋様による彫刻や、車寄せ列柱にアカンサスの彫刻による柱頭も見られます。

 

 

 外観で一番目を引くのは何と言っても正面中央部屋根にある時計塔。明治期に建造された先代のにも時計塔が聳えていたそうで踏襲されたものなのでしょう。この時計塔は戦時中に供出されたとかで、現在のは復元されたものです。

 

 内部は一階が倉庫室となり、二階・三階が各執務室となります。車寄せから玄関へ入るとそこはもう二階となり、回廊式で左右に廊下が続きます。玄関では白漆喰による三連アーチの梁部が並列して三階廊下を支え、その奥に続く中央階段室では天井を高く吹きぬけて、ステンドグラスから射し込む陽光が内部を明るく照らします。やや薄暗い玄関と明るい中央階段室とのコントラストが劇的な空間。

 

 

 二階・三階ともに各部各課の執務室が並びますが、特に三階の南東部は迎賓的な役割があったようで、グレードの高い内装が施された部屋が続きます。
 まず中央階段室を上がった対面にあるのが「正庁」。講堂にあたる部屋で、重要会議や辞令の交付が執り行われた館内で最も重要な部屋だったらしく、大理石の飾り柱や花飾りの白漆喰天井に、シャンデリアや寄木貼りの床板と、壮麗豪華な意匠で散りばめられています。まさしく宮殿のようなクラシックゴージャズな空間。

 

  

 ここは窓側が開き戸になっており、車寄せ上のバルコニーに出られる趣向。バルコニーの床面は何故か一面の赤黄による市松模様となっており、正庁とは異なるモダンな設え。

 

 正庁の東隣は「貴賓室」。そして秘書室の「知事官房」と部屋が続き、東南隅が「知事室」。何れの部屋も天井には漆喰による花飾りや月桂樹の葉をあしらった彫刻が見られ、寄木貼りの床板にマントルピースが置かれおり、正庁ほどの豪華さではありませんがノーブルで落ち着いた意匠の部屋が並びます。

  

 二階と三階との階段は中央階段と、北側東西隅にそれぞれ狭い階段があるのですが、二階の西南隅に一階へ下りる狭い階段があり、これを下りると西へ向かって細い渡り廊下が続きます。旧県議事堂へ続く渡り廊下で、これも同時期に竣工された煉瓦積みによるもの。この廊下も国の重要文化財の指定を受けています。

 

 県庁と同時に竣工された旧県議事堂ですが、県庁同様に先代が大火により焼失した為に再建されたもの。こちらは県庁よりも一段低い土地に建造されており、県庁の渡り廊下が半地下から延ばされるのに対して、ここではそのまま一階部に直結しています。
 県庁同様に煉瓦造りの建物ですが、こちらは構造体を露出させており、軒・腰・柱には石を貼り、屋根はスレート葺きの木造で組んだ複合的な手法によります。正面から見ると二階建てなのですが、ここは事務棟でこの背部に平屋の議場棟が繋がります。

 

 その広い議場は当初から公会堂としての役目も兼ねていたようで、傾斜はなく平床で議員席等が固定されておらず、演壇もコンサート会場の舞台のような構造です。
 天井は丸くアーチを描くヴァールト形式で、中央部は採光用にガラス窓が嵌められており、白漆喰による壁面やリノリウムによる床面も合わせて非常に明るい空間。実際に議事堂として使用された期間は短かったようで、1930年(昭和5年)には新たな議事堂も完成したことから、その後は県庁別館として使われていたようです。14年間しかその役目を持たなかったことから、やはり議事堂兼公会堂とは無理があったのでしょうね。
 今でも講演会等のイベントでよく使われている模様です。

 

 



 「山形県郷土館 文翔館」
   〒990-0047 山形県山形市旅篭町3-4-51
   電話番号 023-635-5500
   開館時間 AM9:00〜PM4:30
   休館日 第1・3月曜日 年末年始