洛東芭蕉庵 らくとうばしょうあん



 洛北の一乗寺近くの住宅街にポツンと佇む金福寺は、すぐ近くに詩仙堂や曼殊院に修学院離宮といった観光スポットがあるのに比べて、訪れる人も少ない京都では穴場的なお寺です。住宅街を巡る細い路地の奥まった所に建てられたこともあって少々見つけにくく、とても控えめなその入り口も見過しやすいことの理由になっているようです。でもこのお寺は権威や象徴を誇示する為に造られた所ではなく、隠棲するために建てられた密やかな庵なのですから。俳人松尾芭蕉ゆかりの寺であり、俳人・画家として知られる与謝蕪村の隠遁の地となりました。

  

 金福寺は平安初期に創建されたものの長く荒廃し、江戸初期になってから鉄舟和尚により再興された寺で、元々は天台宗でしたが今は臨済宗に改宗されています。鉄舟は松尾芭蕉と交際があり、芭蕉が元禄期に訪れて、境内の庵で「うき我を さびしがらせよ 閑古鳥」と詠んだ事から、庵は芭蕉庵と名付けられました。が、この芭蕉庵も安永年間(1772年〜)には廃れてしまい、与謝蕪村が訪れた頃には影も形も無かったそうです。芭蕉を崇拝していた蕪村はその荒廃を嘆き、1776年(安永5年)に庵を再建しました。庵は本堂前の庭の刈り込みの上に、ポツンと屋根だけをだして佇んでいます。この庵へは刈り込みの中の石段を緩やかに登って進みます。

 

 芭蕉庵は屋根が茅葺のこじんまりとした建物で、東側と南側に濡れ縁を廻してあります。山沿いの傾斜地にあり、西側が低い刈り込みだけなので、西に京の町を見下ろすことから、夕暮れ時の暮れなずむ町の景色を楽しことが出来ます。また月夜の晩も乙なことでしょう。

 

 内部は四畳半の茶室と土間の付いた板張りの勝手の二部屋のみのシンプルな造り。茶室は四畳半の広さに台目床に台目畳を敷き隅炉が切ってあり、東側と南側に障子を嵌め、西側に突き上げ窓が開けられています。この窓から京の町が見下ろせる趣向になっています。無駄な物は一切無い虚飾を廃した造りで、蕪村が芭蕉に心を寄せた想いがそのまま具現された空間と言えるのでしょう。蕪村はこの庵を編んでから、7年後に亡くなり、この芭蕉庵の裏手の林の中に葬られました。

 

 



 「金福寺(こんぷくじ)」
   
〒606-8157 京都市左京区一乗寺才形町20
   電話番号 075-791-1666
   拝観時間 AM9:00〜PM5:00
   拝観休止日 12/30〜12/31 1/16〜1/31 8/5〜8/20